俳句的生活(222)-茅ヶ崎最古の古刹ー

茅ケ崎小和田に上正寺という浄土真宗の古刹があります。このお寺が茅ケ崎最古のものというので、昨日現場を訪れて、写真を撮って来ました。

山門は鎌倉の寺に見劣りしないほど、風情ゆたかで立派なものでした。

上正寺山門

右脇の像、同行二人の言葉をどこかで見ていたので、てっきり空海像と思ったのですが、近寄ってみると、親鸞像でした。親鸞の像は空海の生誕地である善通寺の境内にもあって、日本の宗教は一神教の世界と異なり、おおらかで良いものと常々思っています。

親鸞聖人像

山門を入り、最初に目につくのは、樹齢600年といわれている高野槇の巨木です。

高野槇

そして左側には、もともと寛永寺にあった石灯籠が置かれていました。

寛永寺石灯籠

銘には、延宝九年(1681)、前年に亡くなった四代将軍徳川家綱の墓前に、対馬守安藤重治が奉納した、ということが彫られていました。寛永寺の石灯籠が何故この寺にあるのかということですが、戦後に寛永寺が財政難に陥ったとき、茅ケ崎の人が寄進し、そのお礼にと寛永寺が10基ほど、その寄進者に与えたということです。茅ケ崎市役所の前には4基ほどが置かれています。

上正寺の由来を書いたものがないかと、境内を見回していたところ、庫裡から作務衣を着た人が出てきたので、その趣旨を尋ねたところ、立て看板のようなものは無いが説明書があるので、と言って本堂よりパンフレットを持ってきてくれました。更にずうずうしく、本堂の中の写真を撮っても良いかと尋ねたところ、内陣のところまではOKと、快諾してくれました。

内陣

真ん中の蓮の台座の上の立像が、阿弥陀如来だと思います。

上正寺の創建について、貰ったパンフレットと家に戻ってから調べたウイキペディアによって、次のようなことが分かりました。

★ 開祖となった人は、了智という出家僧で、もともとは佐々木高綱という宇治川の先陣争いで有名な源氏の武将。

宇治川合戦

★ 了智は1225年に国府津で親鸞聖人に拝謁し、以降宗派を浄土真宗とした。

★ 佐々木氏は宇多源氏で、宇多天皇の末裔が近江の佐々木荘に入り、以降、佐々木氏を名乗るようになり、明治の乃木希典は更にその末裔となっています。昨年のNHK鎌倉殿にも出ているようですが、義仲を討つあたりの源氏の内訌は見ていないので、判っていません。

創建は鎌倉の禅寺よりも古く、茅ケ崎で最古の古刹であるということも、十分に理解できました。

寺を辞そうと山門近くまで戻ったところ、ちょうど作務衣の若い人とクロスしたので、お礼を言い、住職さんですか、と尋ねてみました。すると答えはノーで、自分は福岡出身で、今3年ほど見習い修行をしているとのことでした。いずれどこかの浄土真宗のお寺の住職さんになると思いますので、何年か後に上正寺を再訪し、どうなったかを尋ねてみようと思っています。