俳句的生活(221)-相模川の堤防ー

線状降水帯が出来て100年に一度の大雨が降った時、相模川左岸(茅ケ崎側)の堤防は大丈夫なのか、ずっと気になっていました。それというのも、次の写真のような工事の案内が長らく続き、一向に工事の進展がされていなかったからです。

堤防計画

工事の遅れの原因は、相模川の茅ケ崎側にマリーナがあり、そこへの出入口への堤防を作ることが、業者との折り合いで難しかったからです。もし作るとすれば、河川敷に入る入り口に閘門のようなものしかないのかと思っていましたが、今日久々に自転車を走らせたところ、堤防を斜めから越える通路でもって、河川敷にあるマリーナに通じる方法でクリアしていました。

マリーナへの入り口

これで懸案であったマリーナの出入口の問題は解決したことになりました。どこまでこの状態が続いているのだろうと、堤防の土手の上を自転車で走ってみたところ、次の写真があるところに出会いました。

排水閘門

これは堤防を越えて排水を相模川に流すための閘門で、通常は開いているのですが、増水したときには閉めて川の水が堤防の外に流れださないようにしている施設です。当然のことですが、堤防の外には排水路が作られています。

排水路

新たに作られた堤防は、神川橋の手前まで続いていました。

神川橋手前の堤防

神川橋のところは堤防が低く、相模川の氾濫の記録を調べたところ、平成14年の7月と10月の台風のとき、堤防を越えて出水したとなっていました。

相模川の洪水で記録に残る最大のものは、明治40年と43年のもので、厚木付近の堤防が決壊し、厚木はほとんどの家が浸水し、茅ケ崎にも被害が生じています。100年に一度というのはこの災害を指してのものです。明治43年の台風は、夏目漱石が修善寺で吐血したときのもので、鏡子夫人は子供と1か月ほど茅ケ崎に避暑で来ていて、その経緯は「漱石の思い出」の中で詳しく述べられています。

洪水は人為的なミスによっても増幅します。それは相模川上流のダムの緊急放水によっておこるものです。堤防の土手には、次の写真のような警告板が立てられていました。

放水警告板

記憶に新しいのは、2019年秋の台風のときでした。城山ダムの緊急放水が予告され、川に近い地区の住民には避難勧告がなされました。幸いにして危機は回避できたのですが、ぞっとする出来事でした。ダムは治水の他に利水の側面があり、利水の立場の人たちは、台風が来る前に放水してしまって、もし雨が降らなければどうするのだという利害がからみ、放水の決定はぎりぎりになるまで持ち越されるのです。ミスを犯さないようにするため、この決定はAIに任せてはと思っています。