俳句的生活(179)-鎌倉殿の愛妾ー

今年度のNHK大河「鎌倉殿・・」で、江口のりこさんが、頼朝の愛妾である亀の前を好演していますが、頼朝の愛妾は亀だけではなく、その数は多すぎて、一度には紹介しきれない程です。その中で、茅ヶ崎に深い関りがある女性が居ます。それは丹後局(たんごのつぼね)という女性です。ドラマでは現在、鈴木京香さんが演じている後白河法皇の寵妃も、丹後局という名称ですが、頼朝の愛妾となった丹後局は別の丹後局です。紛らわしいので、本稿では丹後内侍(たんごのないし)と称することにします。

丹後内侍は、比企氏出身で、頼朝の乳母であった比企尼の娘です。妹が二人いて、二人とも頼家の乳母となっています。彼女自身は、政子が頼家を懐妊した時、着帯の儀式で給仕を務めたことが、吾妻鏡に記されています。

茅ヶ崎西久保、新湘南国道のインターの近くに、懐島山の碑、通称えな塚と呼ばれるものがあります(添付)。碑文によると、丹後内侍は頼朝の子を身ごもったが、政子に知られ、大庭景能の屋敷に身を隠し、男子を生んだ。その子は成人して島津忠久と名乗り、九州島津氏の祖となった、とするものです。その時のえな(胎盤)を納めたところがえな塚といわれるようになったと。

碑文の冒頭、この内容は、天保の「新編相模国風土記稿」に依るものであることが示されています。鎌倉時代の吾妻鏡には記されていませんので、一つの伝承と捉えるのが正しいのではないかと思います。

頼朝の艶聞で忘れてならないのは、平治の乱で敗れた異母兄である源義平の未亡人に、恋文を送っていることです。彼女は、新田氏の祖である新田義重の娘で、義重は政子の勘気に触れることを恐れ、頼朝には会わせず、早々と別の処に嫁がせてしまいました。このことが、鎌倉時代を通して、源氏の名門である新田氏が、幕府で重用されなかった原因であるとも言われています。英雄色を好む と言われていますが、側室を持つことで、正室の協力が得られていないと、碌なことにならない例であったといえます。

閘門の荒(さ)びし村名水草生ふ