俳句的生活(113)-信隆寺の日蓮上人座像ー

かって今宿には、東海道に沿って、信隆寺、仏国寺,上国寺という日蓮宗の三つのお寺が、短い距離の間に造られていました。信隆寺と上国寺は今もありますが、仏国寺は明治の廃仏毀釈の嵐の中で廃寺となってしまいました。場所は、珈琲館となっているところの直ぐ東隣りで、現在、駐車場となっている処です。駐車場は、それを取り囲むように、武田家臣の末裔である今井さんのお宅が3軒建てられています。仏国寺は廃寺となったあと、台小学校の前身となる成誦学舎(今宿学校)として、明治10年まで活用されました。

信隆寺の本堂には、高さ42cmという小さな日蓮上人座像が祀られています。この坐像は、仏国寺が廃寺とされた際に、信隆寺に運び込まれたものです。そして前稿で述べた平塚空襲で、時の住職の奥さん(二十五世上人夫人)によって焼失を免れた座像です。

座像の胎内背面には、永禄七年(1564年)に願主を仏国寺として作られたとの記銘があり、平成八年には、市指定の重要文化財となっています。

空襲の劫火から座像を救った夫人は、後に二十六世法尼となられ、ご主人の二十五世が昭和41年に示寂したあと、そのあとを追うように亡くなられています。戦後、焼け跡の中から、夫唱婦随で再建されてこられたことでしょう。現在のご住職は二十八世の方で、フレンドリーなHPを作り、ブログのような寺報を掲載されています。

桐一葉四百年を座りをり

日蓮座像