俳句的生活(107)-琵琶湖周航の歌ー

京都の桜の名所の一つに、南禅寺から銀閣寺までの琵琶湖疎水に沿っての道、哲学の道があります。そして、この疎水の琵琶湖での入口の脇に、かって、旧制第三高校のボート部の艇庫がありました。琵琶湖周航の歌は、三高の学生でボート部員であった小口太郎という人が、周航の途中に停泊した今津の宿で作詞し、他のボート部員が、既にポピュラーとなっていた吉田千秋作曲の「ひつじぐさ」のメロディーに合わせて歌ったのが始まりとされています。

吉田千秋は明治28年(1895年)に新潟で生まれた人ですが、茅ヶ崎との関りは、若くして結核を患い、19歳で南湖院に入院したことにあります。南湖院は、院長の高田畊安がクリスチャンであったことにより、日曜日には集会が開かれ、オルガンに合わせて讃美歌が歌われていたのですが、彼はまだ歌詞だけであった讃美歌に対しても曲を付けていきました。「ひつじぐさ」は、退院後に音楽雑誌に投稿し掲載されたものですが、三高のボート部員が知っているほどに、世に広まっていたのです。

ひつじぐさとは水蓮のことで、曲は8分の6拍子のト長調のものです。初中級のピアノ曲にも編曲されていて、左手の伴奏は全て3連符の繋がりで、弾きやすい曲になっています。

作詞をした小口と作曲の吉田とは会うことなく、それぞれ26歳と24歳という若さで亡くなっています。琵琶湖周航の歌は、昭和46年に加藤登紀子の歌唱により、大ブレイクしました。若くして亡くなった二人とも、泉下で驚いていることでしょう。吉田千秋は生没ともに未(ひつじ)の年、これも奇妙なめぐり合わせです。

2017年、琵琶湖周航の歌100周年を記念して、京大ボート部のOBが、旧三高の艇庫があった三保ヶ崎を起点として、周航を敢行しました。さぞや、青春の血を沸き滾らせての周航であったことと思います。

三艘を抱く黄金の湖水かな

琵琶湖周航の歌
「琵琶湖周航の歌」なぞり周航の主なコース
「われは湖の子」京大ボート部OBなぞり周航いざ漕がん 「琵琶湖周航の歌」100年 産経ニュースより