俳句的生活(106)-相模国準四国八十八カ所ー

弘法大師が生まれたところは、四国香川県の善通寺というお寺です。そのお寺の裏手に、香色山という標高150mのお椀を伏せたような小さな山があり、その周囲1.2kmの山裾に、1時間で廻れるミニ八十八カ所というのがあります。主に善通寺のお年寄りが散歩がてらに歩いていて、1000回廻れば、本当の八十八か所の距離である1200kmと同じになり、功徳が得られるというものです。

神奈川県にも、同じような趣旨の、ミニ八十八か所があります。相模国準四国八十八カ所札所と呼ばれているもので、江戸末期文政年間に、浅場という鵠沼の豪農によって始められました。茅ヶ崎には24寺あり、ほぼ真言宗のお寺です。最短でコースを繋ぐと約15kmで、1日で廻れるものでしょう。八十八か所全部だと、4,5日といったところです。

江戸時代、農民は5割の年貢を取られて生活苦に喘いでいた、と思われがちですが、米だけの生産であれば確かにそうですが、税が掛からない米以外の物、例えば桑や藍を植え、更に養蚕をやり繭を育てるというところまでの付加価値を付ければ、深谷の渋沢家のように、結構富裕になれたのです。柳島の藤間家は、田圃は6反でしかなかったのですが、年貢の掛からない廻船業で利益をあげていました。これは、現在の富裕層というのが、給与以外の所得には、給与と異なり税率に累進性が取られていないため、給与以外の所得が多ければ多いほど有利であることと酷似しています。そのように、富裕な農民層は実際に四国にまで行き、そうでない農民層は、準のものを廻ったものと思われます。

四国八十八カ所への関東からの巡礼は、伊勢参りとセットで行われていました。文政11年の例ですが、茅ヶ崎の人18名が藤沢の人8名と一緒に、1月にこちらを出発し、伊勢を経て高野山に参り、和歌山から徳島へ渡り、金毘羅神社と近隣の寺を廻り、丸亀から岡山に渡っています。そして京阪で遊興し、3月に箱根芦ノ湖に戻ってきています。掛かった費用は、一人当たり現在価格で、約100万円です。

準の方は、旅行記らしいものは残ってなく、近場であるため、連続した通し遍路ではなく、継ぎ足しのものであったと思われます。準四国八十八カ所の札所巡りの魅力は、御詠歌とよばれる仏の恵みを詠んだ歌に接することではないでしょうか。御詠歌は、準八十八カ所を発願建立した人の息子さんが、父親の17回忌の年に、それまでの巡礼の間に詠み溜めていたものを公にし、各寺に振り分けたものです。

本場四国の御詠歌は、長い年月をかけて多くの人によって作られ、洗練されて来ました。次の和歌は、四国75番札所善通寺に収められている御詠歌です。

我すまばよもきゑはてじ善通寺 ふかきちかいの法のともしび

古九谷の紅や東寺の名残雪

善通寺 東院伽藍
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ウィキペディアより引用「善通寺の東院伽藍を正門より」