俳句的生活(93)-砂防林ー

今、134号線は藤沢の片瀬から大磯の西湘バイパス入口まで、片側2車線化が完了し、渋滞のない快適なドライブコースとなっています。しかも、両サイドは緑の防砂林となっていて、全国でも有数の快適なドライブ道であることは、間違いありません。

茅ヶ崎は、一国=東海道に松並木が残っているように、松が自生する地域でした。しかしそれは、東海道や鉄砲道の少し南の辺りまでで、海岸に近づくほど松の自生はまばらとなっていき、かって砥上が原と呼称されていたように、海岸地帯は、砂地のところどころに、雑草と低木の雑木が自生しているというものでした。

茅ヶ崎海岸の植林は、昭和になってから、湘南遊歩道路の建設と相まって始まりました。砂地を緑化するのは簡単ではなく、先ず下草で砂地を固定し、次に低木を植え、松の植樹は最後に行うという順序でした。何度も失敗を繰り返し、道路が完成した昭和11年には、なんとか両サイドに低木が植えられるというところまで、辿り着いたのです。

このように、一旦は軌道に乗った砂防林でしたが、戦争と戦後の伐採で、すっかり荒廃することになります。柳島湊に、砲術調練所跡之碑と湘南道路之碑の脇に、善行者之碑というのがあります。これは戦後、砂防林の盗木を身を挺して監視した人を讃えて作られたものです。

茅ヶ崎海岸の砂嵐がいかに酷いものであるかは、暴風雨のあと、サイクリング道路には、自転車の通行が出来なくなるほどに、砂が堆積してしまうことで判ります。砂防林が伐採されてしまったあと、134号線には数mもの砂が堆積してしまい、進駐軍のジープですら、通行できなくなる程でした。この砂の除去は、昭和23年までかかっています。

埼玉大学の人文地理学の先生が研究開発しているものに、今昔マップというのがあります。これは各年代の地図を、現在のものに対比させて表示させるもので、これにより、茅ヶ崎海岸の砂防林の回復過程を追うことができます。これを見てみますと、昭和40年代の後半になって、ようやく現在と同じレベルのなったことが判ります。

現在、砂防林の中には、散策路がつくられ、木漏れ日のさす絶好の逍遥の道となっています。砂防林の断面図をみますと、芸術品であるとすら思ってしまいます。二度と荒廃させることなく、大切に守っていきたいものです。

鍬形の背を割る翅は太古より

湘南道路の碑
「柳島いまむかし」より
善行者の碑
「柳島いまむかし」より