俳句的生活(73)-木村十四世名人ー

現在将棋界は、藤井聡太二冠の活躍で、空前のブームとなっています。奨励会というプロ養成機関の三段リーグを14歳で突破して四段となり、最年少のプロ棋士が誕生したことが、その所以です。ところが藤井がプロとなる丁度100年前、まだ奨励会などが無かった時代に、12歳でプロ初段となり、朝日新聞の棋戦に出場した棋士がいたのです。その棋士こそ、名人を通算八期獲得し、十四世名人となる木村義雄でした。(藤井聡太は木村義雄の玄孫弟子という関係です。)

木村は、昭和27年に名人位を大山康晴に奪われた直後に引退声明を出し、東京の府中から茅ヶ崎に引っ越してきました。茅ヶ崎市小和田(現・出口町)です。茅ヶ崎には昭和61年まで34年間住まわれ、市の教育委員なども務めました。出口町の邸宅には、現在も堂々たる木村義雄の名前の表札が掲げられています。

木村義雄は、実力制初代名人となる棋士で、それまでの力将棋に代わるいわゆる近代将棋を確立した人です。有名な対局として、昭和12年2月の南禅寺での、坂田三吉との対局が挙げられます。この対局は新国劇の「王将」の名場面のひとつで、辰巳柳太郎が坂田三吉を、島田正吾が木村義雄を演じました。持ち時間は一人30時間、一週間がかりの対局でした。坂田は当時67歳、関西名人を名乗ったために将棋界から干され、14年ぶりの対局でした。新進気鋭の木村に敵うはずがありませんでした。

木村十四世名人は、昭和61年11月17日に亡くなったのですが、その日は奇しくも「将棋の日」で、卒年の81歳は、9×9の「盤寿」でした。将に将棋の人と言ってよいほどの一生でした。

盤上の炎上冬の南禅寺

木村名人
ヒストリアちがさき第10号より「自宅で団欒の木村十四世名人」
将棋三名人
日本将棋連盟ホームページより
「左より中原名人(当時) 大山十五世名人 木村十四世名人 茅ヶ崎の木村名人宅にて」