俳句的生活(72)-ヒトラーに傾倒した男ー

今日は終戦記念日。毎年この時期、戦争に関係した番組が放映されます。昨夜は、NHK BS1で、「ヒトラーに傾倒した男~A級戦犯・大島浩の告白~」という番組がありました。大島浩とは、陸軍の軍人で、駐ドイツ大使を務め、日独伊三国軍事同盟締結を推進させた人物です。東京裁判で終身刑の判決を受け、10年間巣鴨で服役し、釈放後20年間、茅ヶ崎で過ごしました。

この番組は、大島浩が1975年に89歳で亡くなる2年前に、近くに引っ越して来た三宅正樹氏(現在明治大学名誉教授)が、茅ヶ崎中海岸の大島の自宅を訪問し、12時間に亘るインタビュー録音を基にしたものです。大島の中海岸の家とは、陸軍大臣を務めたこともある父親の健一氏が作った別荘で、場所は、茅ヶ崎館よりやや西の、現在のサザン通りの西側に面する処でした。番組の中では、大島夫妻が別荘の庭を散策している映像が映し出されていました。

このインタビューは、絶対に公開はしない、という条件で行われました。浩の死後数年後に、夫人より三宅氏に公開してもよい、という葉書が届き、今回それを三宅氏がNHKに委託した、という経緯のものです。何か目新しいこと、例えば、独ソ戦においてドイツ軍が不利になっているにも関わらず、大島は最後までドイツ軍有利と日本政府に打電していたのですが、事実と異なると承知の上で、意図して虚偽の報告をしていたのかどうか、というようなことは、一切語っていませんでした。日本が対米開戦を決定し、真珠湾に向かおうとした時点では、冬将軍の到来で、既にドイツ軍のソ連領内での侵攻はストップしていて、形成逆転していました。日本の対米戦争の出口として、ドイツの勝利しか持ちえなかった日本の指導部に対して、決定的なミスリードしたことになります。

大島の電報や、日米交渉をしていた時の、日本からの駐米大使への訓令は全て、米英に暗号解読されていました。戦後、アメリカの国務長官が、何も知っていないように演技することが、苦痛であったと回想しています。日本の敗北は、工業生産力の差だけでなく、基礎科学力の差であったのです。

時よ止まれあの年十二月八日

Adolf Hitler meets with the Japanese ambassador Hiroshi Oshima 1942.jpg
German press photographer – http://www.mourningtheancient.com/truth14dx1.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

ウィキペディアより引用「アドルフ・ヒトラーと握手をする大島」