俳句的生活(74)-相模川の砂利ー

相模川にかかる銀河大橋の少し上流の左岸に、田端スポーツ公園というのがあります。対岸は平塚の、前鳥(さきとり)神社のある四之宮地区です。このスポーツ公園には、かって、四之宮駅と呼ばれる駅がありました。相模線の寒川駅までを繋いだ軽便鉄道で、相模川の砂利を運ぶためのものでした。

先月の平塚版タウンニュースに、この四之宮駅が描かれた90年前の絵図が掲載されていました。所有していたのは茅ヶ崎の人で、祖父が入手したものであろうとのことです。現在、四之宮駅の痕跡は全く残っていないのですが、のちに、この駅と寒川駅との間にもうひとつ、西寒川駅というのが出来て、その駅跡地には石碑と、廃線となったレールが残されています。

現在、相模線は茅ケ崎から相模原の橋本駅をつなぐJRの路線になっていますが、元々は茅ヶ崎の民間出資による私鉄で、大正十年に茅ヶ崎、寒川間の運行から始まりました。当初より、砂利の運輸が主目的だったのですが、2年後に関東大震災が発生し、砂利の需要は劇的に高まりました。大正15年には厚木まで延伸し、寒川、倉見、厚木からは河原まで引込線が敷かれ、砂利は茅ケ崎経由東海道線で、横浜・東京へと運搬され、東京汐留駅には専用の砂利荷揚場が作られるほどになりました。

私鉄であった相模鉄道は、戦時中の国策で大部分が国鉄に吸収され、私鉄として残ったのは、横浜・海老名をむすぶ相鉄線だけとなってしまいました。寒川からの支線は昭和59年まで続きました。相模線は現在も単線で、ローカル色豊かな路線ですが、橋本にリニア新幹線の駅が出来たのちは、大化けするのではないかと期待しています。静岡の大井川の水問題を早く解決して、工事を急いでほしいものです。

青草や砂利を運びしレール跡

相模砂利支線
タウンニュース平塚版より「砂利支線の絵図」
相模海軍工廠跡
西寒川駅の石碑
廃線のレール
廃線のレール