俳句的生活(68)-茅ヶ崎の旗本(1)ー

江戸時代、茅ヶ崎23村は、一部の幕領を除いておよそ40の旗本に知行されていました。茅ヶ崎市史編集委員会によると、そのうち3家と連絡がつく状態だそうです。それは大岡家をはじめとして、中島・浜之郷の山岡家、柳島の戸田家です。本稿より2回に分けて、山岡家と戸田家について綴ってみたいと思います。

山岡家の遠祖は、万葉歌人の大伴家持であると言われ、室町時代には近江で小さな城を持つ土豪でした。家康の関東入りに従い、中島と浜之郷に300石の知行地を与えられました。知行地は後に茅ヶ崎以外で加増され、最終的には700石の中堅旗本として、明治を迎えました。

山岡家の陣屋は、当初中島にありましたが、江戸に本拠を移した際、その陣屋は名主の楳田家に引き継がれました。現在も広い屋敷となっていて、かっては殿屋敷と呼ばれていたそうです。場所は中島の日枝神社の直ぐ近くです。(添付の写真で、奥が日枝神社、左の塀の中が殿屋敷といわれていた処です。今は個人(楳田家)の住居となっていますので、門の中の写真は控えます。)

山岡家の菩提寺は、浜之郷の龍前院です。ここには29基の墓碑が残っています。

末裔の方は現在、日本琵琶協会の名誉会長をされています。80歳代半ばのご高齢ですが、HPで元気なお顔を拝見することが出来ます。

名の読めぬ墓石のひとつ炎天の下

殿屋敷
殿屋敷と日枝神社
日枝神社
日枝神社