俳句的生活(53)-高砂通りー

一中通りと同じく、この通りには、空に掲げるような標識はありませんでした。通りには商用施設的なものが一切ないので、その必要性がないので、納得感はこの上なしです。ここぞ、茅ヶ崎の肝といった地域です。

この地域は、砂丘の上に作られた住宅地です。そのことを確認するために、あらためて高砂緑地を訪ねてみました。砂地であることを追認するためです。入口から少し入ったエリアは、松だけの植生で、手入れは行き届いていて、松の落葉もなく、地表は砂地になっています。少し小高い処、八木重吉の石碑のあるあたりですが、この辺りは照葉樹の樹が育っていて、地表には草が生えています。どの程度の深さまで、腐葉土化しているかと、スコップで少しばかり掘ってみたところ、5cmぐらいまでは、砂混じりの土となっていました。明らかに、小高い処は、砂丘の中の砂山であったのです。

この通りを更に海に進んだ右側に、恵泉幼稚園とテニスコート、茅ヶ崎公園、野球場があります。このエリア3万坪には、明治から大正に掛けて、中村楼という料亭旅館がありました。残念なことに、東京の本店が関東大震災で壊滅したため、茅ヶ崎のこの中村楼も閉じることになりました。所有は関西の鴻池、更に個人のものになっていくのですが、もしも元のままに保全出来ていればと思わざるをえません。

高砂は、砂の恩恵を受けるとともに、砂との格闘を繰り返してきました。多すぎても困るし、少なすぎても困るというものです。茅ヶ崎の砂は、相模川からの土砂によるものですが、相模川の上流にダムが作られたため、浜が細ってきたのです。それを防ぐために、菱沼のあたりにヘッドランドと呼ばれる突堤を作りましたが、容易に想像されるように、ヘッドランドの右側(平塚側)と、左側(江ノ島側)では、浜の広がりに大きな差が出来てしまったのです(添付写真参照)。相模川からの砂は、強い西風によって、東に移動するからです。菱沼から東の海岸は、砂岩段丘に波がもろにぶつかる状況になっています。今のサイクリングロードは風前の灯になっています。

砂山や蟻のあたまの光りをり

高砂通り
ヘッドランド
ヘッドランド