俳句的生活(52)-一中通りー

戦前、各府県の県庁所在地あるいは城下町に、府県を代表する中学として、旧制県立第一中学校が設置されていました。戦後の学制改革で、それらは名門公立高校となるもので、東京の日比谷高校、京都の洛北高校、大阪の北野高校といった具合です。各府県では順次、旧制中学は増えていったのですが、茅ヶ崎には終戦に至るまで設立されませんでした。お隣の、藤沢・平塚には設立されたのにです。丁度、東海道線の駅の設立と類似しています。そのため、俳句的生活(40)で紹介した萩園の和田清さんは、横浜の第一中学まで通っています。清さんの時代には、神奈川にはこの第一中学と小田原の藩校を基とする第二中学しかなく、更に東海道線は国府津から御殿場を廻っていましたので、横浜の第一中学を選ぶしか選択肢はなかったとはいえます。

昭和22年の学制改革で、茅ヶ崎町立第一中学校が生まれます。場所は茅ケ崎小学校の中に、教室を借りてのスタートでした。同じ時期に、茅ヶ崎町立第二中学校、第三中学校も生まれますが、この二つは暫くして、鶴嶺中学校、松林中学校と名前を変えることになります。第一中学校はそのままの名前で、市制に伴い茅ヶ崎市立第一中学校となり、昭和27年に現在地に移転します。このときより、中学校の前の道は一中通りと呼ばれるようになり、現在に至っています。地元の人達は、一中という名前に誇りを感じていたに違いありません。

加山雄三、桑田佳祐の二人もこの第一中学校の卒業生です。私自身の好みかも知れませんが、この中学校には、戦後の湘南のジャカジャカとした雰囲気よりも、かって茅ヶ崎村が幕府領で、近くには相州砲術調練所もあったことより、文武両道という言葉が似合う中学であってほしいと願っています。

遠泳を見守る和船沼津沖

林間学校
茅ヶ崎市立図書館郷土資料デジタルライブラリーより引用
白十字会林間学校/1947年以前(1917年開校)林間授業