俳句的生活(39)-茶屋町ー
茶屋町というバス停がある。1国の十間坂と町屋との間である。この名前には前々から気になっていた。こんな寒村では有り得ないこととは思いつつ、金沢の茶屋街のミニ版のようなものでもあったのだろうかと。それが今回、茅ヶ崎駅の開業祝賀で、茶屋町の商人が中心であったとの記録があったので調べたところ、立場(たてば)茶屋と呼ばれた、宿場と宿場の間の休憩所であったことが判明した。
藤沢宿と平塚宿の距離は13.7kmである。2時間半はかかる距離で、途中休憩できるところがほしい。そこで茅ヶ崎には、2か所の休憩地が設けられた。菱沼と南湖にである。この二つの茶屋が描かれた絵が菱沼にあるというので、自転車で行ってみた。添付の写真がそれで、菱沼のバス停近くに案内板がたてられていた。浮世絵師の菱川師宣が描いた絵が、鮮明に再現されていた。菱沼のものは、牡丹餅茶屋(ぼたもちちゃ屋)と呼ばれ、牡丹餅が名物であったらしい。南湖のものは、茶屋数々、と描かれ、町屋になっていったのであろう。明治以降、こうした茶屋はどうなっていったのであろうか。箱根畑宿の旧街道にある甘酒茶屋も、こうした立場茶屋のひとつであるが、現在も営業を続けている。箱根の街道は、明治になり箱根七湯を巡るルートがメインとなる中、甘酒茶屋はよく存続したものと、称賛したくなる。
師宣の描いた東海道は愉快である。十間坂には昔は家が有ったが今はない、とか、菱沼の方は、砂が深くて風によって時々道が変わる、とか。街道脇には、駕籠担ぎや馬曳きが休んでいる。一里塚は砂が少なかったとかが描かれている。
一里塚あと二つ見む牡丹かな