添削(55)-あすなろ会(11)令和6年1月ー

裾花さん

原句 遠近(おちこち)の鐘の響きや去年今年

大晦日の夜、年が変わろうとする頃、除夜の鐘音があちこちの寺院から響いてきます。音量に差があったり、テンポのずれで、幻想的な響きとなります。中句を単に ”鐘の響き” とせずに、混ざり合った響きを表現する言葉にした方が深みが出ると思います。

参考例 遠近の鐘の合唱去年今年

原句 大山を借景宿の牡丹鍋

牡丹鍋
牡丹鍋

窓から大山が見える宿の一室で、伯耆名物の牡丹鍋を頂く、という情景がよく見えます。ただ、”借景” という言葉は、例えば天龍寺の庭が嵐山を借景としている、というように、何かがあってその向こうにまた何かがある、という関係になっていなければなりません。この句の場合、大山の前にある何かが詠まれていませんので、”借景” は使わない方が良いでしょう。

参考例 大山を背にして宿の牡丹鍋

原句 初富士や二家族揃ひ頭(ず)を垂れぬ

正月に子供さん家族が来て、一緒に富士を眺めた、という微笑ましい光景が目に浮かびます。ただ、中句の ”二家族揃ひ” が説明表現になっているので、一工夫してみます。

参考例 嬰児(みどりご)と見上ぐ美空や初の富士

蒼草さん

原句 松明や残りし豆の味の沁む

松明(まつあけ)とは松の内が過ぎて数日間のことで、だいたい関東では7日、関西では15日前後、正月飾りが外されて普通の生活に戻るが、すぐには正月気分が抜けずに、浮ついた気分で過ごしている頃のことです。本句は暮に作った煮豆に日数が経って味が沁み込んだというもので、成程と思わせる句です。”松明” は本日の席題で、とっさにこのような秀句を作れるのは流石です。直しはありません。

原句 降る雪やシチュー沁み入る飛騨の宿

本句も前句と同じように、”沁みこむ” ことを詠んだ句ですが、前句と比べて本句が平板になっているのは、本句では「雪」「シチュー」「宿」という三つの要素が同等の重みをもって並列に並んでいることに依っています。三つの要素をそれぞれ独立させずに、シチュー以外を一つの塊に括り、シチューと二つにして並べる構成にするのが良いです。

参考例1 シチュー沁む萱に雪つむ飛騨の宿

あるいは宿をカットし、要素を最初から二つにすることも考えられます。

参考例2 腑に沁みる雪つむ飛騨のシチューかな

原句 年惜しむ声の揃ひや謡(うた)納め

謡の稽古
謡の稽古

本句の問題点は、下五の ”納め” が季語 ”年惜しむ” に近すぎることです。”納め” をカットしてみます。 

参考例 シテワキの声を揃へて年惜しむ

遥香さん

原句 松過ぎの路地の夕暮れカレーの香 

正月料理に飽きた松過ぎの頃、普段は何の変哲もないカレーに、特別の味を感じるものです。本句の問題点は、”夕暮れ” の前に、”松過ぎの” と ”路地の” と二つの ”の” による修飾で夕暮れが強調され、肝心の ”カレーの香” がかすんでしまったことです。”カレーの香” に焦点が当たるように修正してみます。

参考例 松過ぎて夕暮れ路地にカレーの香

原句 初伊勢や千古の杜の朝の日矢

伊勢神宮の日の出
伊勢神宮の日の出

本句の問題点は、中句の ”千古の杜” が季語の ”初伊勢” すなわち伊勢神宮の説明語になっていることです。下句の ”朝の日矢” に繋がるものを持ってくるべきです。 

参考例1 初伊勢や松をかすめる朝の日矢
参考例2 初伊勢や神の国より朝の日矢

原句 赴任地へ見送る朝や野水仙

見送るは他動詞で、本来は、赴任地へ向けて出発する○○を見送る というように、目的語となる○○が無ければなりません。原句は、補助語である ”赴任地へ” が目的語となっていて、日本語として欠陥があります。また俳句では、曖昧な表現は、切れ味を鈍くすることになって嫌われますので、本句では誰を見送るのかをはっきり表現した方が良いです。更に、「見送る」という言葉を使わなくても、見送りであることは表現できます。

参考例 北国へ赴く夫や野水仙 

怜さん

原句 初富士や祈る人あり新幹線

新幹線からの富士山
新幹線からの富士山

東京方面から新幹線に乗ると、三島を過ぎ新富士のあたりから富士山が顔を出します。その富士に向かって車中から祈りを捧げている人がいたのだ。作者は何を祈っているのだろうと思いつつ、本句を作った。珍しい場面を詠んだ句で、リズムも良く直しはありません。

原句 古桶に水仙束ね骨董屋

この句には問題点が二つあります。一つは中句の「束ね」で、これは「束ねる」の連用形であり後に体言(名詞)を繋げてはいけません。骨董屋に繋げるには連体形の「束ねる」でなければなりません。そうすると「水仙束ねる」となり中句が8音となるので、別の問題が起こります。それを解決するには、「束ねる」に近い3音の動詞を探すことです。「結ぶ」が候補になります。もう一つは上句で使っている助詞「に」です。これは「や」にしなくてはいけません。そうすると、芭蕉の「古池やかわず飛び込む水の音」と同じ構文の「古桶や水仙結ぶ骨董屋」となります。

参考例 古桶や水仙結ぶ骨董屋 

原句 松過ぎて来し手紙ただうれし

中句が5音で、全体で15音となっています。「かな」を使って2音増やし、手紙を詠嘆してみます。

参考例 ただうれし松過ぎて来る手紙かな

弘介さん

原句 御忌の会浄土も揺する大音声

上句の ”御忌の会” ですが、御忌そのものが会ですので、御忌と合わせる言葉は「御忌詣」あるいは「御忌の鐘」のようなものにすべきです。また、浄土という言葉が使われているのは、御忌が浄土宗でのイベントであるから納得されますが、比喩として、浄土を揺するほど、御忌の音が大きいとしたのは頂けません。京都では西山の先が浄土であると思われていますので、浄土の代わりに西山を使用した方が良いでしょう。

参考例 西山へ京(みやこ)の空を御忌の鐘

原句 初伊勢の闇と和するや木靴音

神官の木靴
神官の木靴

木靴とは伊勢神宮の神官の履く木の靴のことです。その歩く音が闇と和しているという句です。中七を「や」で切っていますが、和しているのは木靴ですから、ここは切るべきところではなく、動詞の連体形で木靴に繋げる箇所です。切る個所はここではなく上五の処です。

参考例 初伊勢や闇に溶け入る木靴音

原句 きときとの寒ぶり百本さわぐ競り

”きときと” は富山地方の方言で、「新鮮な」という意味です。富山の空港の名称は「富山きときと空港」となっています。この句の問題は、最後の ”競り” 以外すべての言葉が季語「寒ぶり」を描写したものになっていることです。俳句では、季語の一語で季節感を表現し、残りの言葉は季語と離れることを常道としています。本句の場合は、”競り” に言葉を集中させるべきです。例としては、競りに集まっている男衆 とか 競りの場所を照らす灯り といったものを詠んだ方が良いでしょう。

参考例 寒ぶりや闘志いだいて競り落とす

游々子

炎(ほむら)高くドラム缶燃ゆ去年今年
山伏の錫杖(しゃくじょう)揺るゝ恵方道

山伏の錫杖
山伏の錫杖

御忌の鐘こだまの果てる東山