俳句的生活(24)-大山の晴嵐ー

先日茅ヶ崎館へ伺った時、五代目当主の森さんより、大山の晴嵐の絵図は、茅ヶ崎館の裏より大山を眺めたものであるとの説明を受けた。今回、茅ヶ崎館の裏に廻ってみたが、絵図にあるような、砂地に似た空間はどこにもなく、住宅がびっしりと134号線にまで詰まっていた。同じアングルで写真を撮ろうとしたら、結局134号線を越えるところまで出てしまった。そこからは茅ヶ崎館も見えるはずもなく、全く異なる光景の写真となった。

晴嵐という言葉は、あまり使われない言葉である。広辞苑では、(「嵐」は山気の意)晴天の日に立ちのぼる山気)とあり、更に山気(やまき)とは、山中にこもる、ひえびえした空気。嵐気。とあり、堂々巡りの説明になっている。察するに、大山を外からみた気ではなく、大山に入っての気であろうかと思われる。季語にはなっていない言葉である。

この絵図から、私は大山よりもむしろ砂地の方に関心がいく。今もそうだが、茅ヶ崎海岸は相模川が運んだ砂が多く、砂嵐となって陸地に押し寄せてきている。134号線や鉄砲通りは砂丘の上に作られた道であり、高砂という地名があるように、砂の多い地域であった。砂地に適した樹木として松が自生し、人の手によっても植えられていったのだろう。私の好みの番組に「ブラタモリ」というのがある。一度、茅ヶ崎はどうして別荘地になったのか、という題で番組を作ってほしいものである。NHKに依頼する手段はないものであろうか。

羊にはなるななるなと雲の峰

茅ヶ崎八景ー大山の晴嵐ー
134号線からの茅ヶ崎館方面
134号線からの茅ヶ崎館方面