俳句的生活(18)-茅ヶ崎館ー

当市、中海岸に、1899年(明治32年)に創られた日本旅館―茅ヶ崎館ーがあります。造られてから120年以上経過し、現在のご当主は五代目を数えるまでになっています。この旅館が今も色あせることなく活動を続けられる最大の原動力は、この旅館で脚本の過半が書かれた小津安二郎監督の映画の魅力にある、といっても間違いはないでしょう。

私は小津映画の主要作品は全て何度も観ているのですが、観る回数が増えたのは、自分の年齢が、原節子の父親役を演じた笠智衆の年齢を超えだしたあたりからです。昭和25年当時の笠智衆は46歳、実年齢はなんとも若いのです。そのころから好んで観るようになったのは、やはり、紀子三部作といわれている役を演じた原節子の輝くほどの美しさに惹かれるようになったが故のことでしょう。彼女の話言葉は、いわゆる東京の山の手言葉で、響きがなんとも心地よいのです。茅ヶ崎館はそのような言葉遣いが散りばめられた脚本が書かれた旅館でした。

昭和25年当時の茅ヶ崎の人口は5万人でしかありません。おそらく中海岸や東海岸のあたりは松原になっていたのでしょう。小津は朝食後(彼はそこでも熱燗を二合のむのですが)、茅ヶ崎館の裏から松の中の小径を抜けて海岸へ散歩に出ています。彼の映画では、住まいは全て北鎌倉なのですが、海は全て茅ヶ崎の海となっているのはそうした事情によるものなのでしょう。添付した写真は小津が脚本を書いていた頃の茅ヶ崎館で、五代目当主の森さんより頂いたものです。

茅ヶ崎館は明治期に、茅ヶ崎八景なるものを絵葉書にして、この地の魅力を全国に発信しています。次回よりそのことをテーマとして綴ってみることにします。

松原を抜ける潮風浜昼顔 游々子

茅ヶ崎館
茅ヶ崎館の絵葉書

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