満蒙への道(38)-日米未来戦争(5)-

前稿で紹介した水野の所見は、満州事変こそが日米関係を破局に導く最悪の行為であるとするものでした。一方、満州事変の立役者となった石原莞爾は、満州を領有することこそが積年の満蒙問題を解決する途であると考えていました。彼は東條と対立し省部から離され、隊付将校となっていくのですが、京都の師団長であった昭和15年5月29日に京都義方会というところで講演したのが速記されて、8月に「世界最終戦論」のタイトルで出版されています。

世界最終戦争

この本は、軍事戦術史と呼べるもので、古くはプロシャのフリードリッヒ大王やナポレオンから始まり、新しくは第一次大戦までの戦闘思想を解説したものです。そして戦争を勝ち上がっていくのが日米であり、この二国が決勝戦として最終戦争を戦うという筋書きで、その時期を昭和15年より数えてあらかた30年後のこととしています。彼の構想は満州に重工業を興し、その工業力で戦力を培養しようとするものでしたが、それはエセ理想主義者のお伽噺にしか過ぎず、現実は水野が予想した最悪のルートを辿ったのです。

戦後、満州事変の首謀者であるにも関わらず、東京裁判で訴追されなかった石原は

石原莞爾

郷里の鶴岡で妻と掘立て小屋に起居し、

石原の家

膀胱癌を患いながらも地元の青年達と荒地の開墾に従事しました。その生き方は良としても、最期まで柳条湖の満鉄線爆破を自分たちで仕組んだことを証言することはありませんでした。