満蒙への道(37)-日米未来戦争(4)-
筆者(游々子)はこの5月の連休に信州を旅し、南信の阿智村に10年前に作られた満蒙開拓記念館に寄って来ました。
ここには平成28年に現上皇ご夫妻が訪れていて、御製の和歌を詠まれています。
渡満すれば20町歩の地主になれるという触れ込みで、27万人が開拓民として応募し、不可侵条約を破って侵攻してきたソ連により、8万人もの人たちが命を落としています。
満州事変の直後より、日本が満州を領有することは極めて危険であることを述べた日本人がいます。それは満蒙への道(24)で紹介した水野広徳という海軍大佐です。
彼はその著書「興亡の此一戦」で日本の満州領有が、米国側からみて日米開戦を不可避にするものと位置づけています。その理由は、米国は資源のない日本を持久戦になれば米国に対抗できない国とみていて、もし満州領有により日本が資源を得ることになれば真の脅威になると考えていたからです。一方で水野は満州は熟柿ではなく渋柿であると断じ、満州領有は日本にとって経済的利益はなく米国とののっぴきならない対立を引き起こす奇禍でしかないとしていました。この当時、一般国民が関東軍の軍事行動に熱狂し、衆議院では全員一致を以て満州国の承認を議決したのとは大違いでした。
「興亡の此一戦」での日米開戦のきっかけは、中国が満州国討伐軍を山海関(注)を越えて満州に送り、日中両国軍の間で戦闘が発生し、米国が日本に対して中国の満州討伐への不干渉を要求したところ、日本がこれを拒絶することにより宣戦布告が発せられるというストーリーになっています。日本は米中連合に対して戦争に突入していくのですが、これは満州事変以後の歴史事実と符合しています。戦記での日中の衝突が山海関であったのに対して現実が盧溝橋であったことだけの違いで、実際の日中戦争で米国は公然と大々的に援蔣ルートで重慶の中国政府を支援し、最終的に日本の首を締め上げることとなりました。(注:山海関とは万里の長城の東端に位置する要塞で、明清革命の際、清は三代の順治帝のとき、明の守将呉三桂により扉の開かれた山海関を通過して入関し明を滅ぼした場所です。)
水野のもう一つ別の著書「次の一戦」では、また別の日米開戦のきっかけとなる出来事が描かれています。明治41年、日本には国論が沸騰していた「三都墺問題」と呼ばれる問題がありました。それは中国福建省にある三都墺という軍港に、米国が借款し、軍港の整備を協議していたものです。この問題に対し、米国は「ド」級戦艦18隻(GWF)を日本に派遣して示威行動をとったため、日本政府はこれに抗議する構図となっていました。水野広徳はこの出来事をもとに小説を書いており、日米開戦のきっかけとしています。
水野が戦記に書いたのは次のような内容です。”米国艦隊は予定通りに横浜に来航し、一週間滞在した後、フィリピンに向けて出航した。その時期、日本の連合艦隊は台湾から小笠原海域にかけて、臨時特別大演習を行っていた。米艦隊は、横浜を出発してから2日後にどこで何をしているかわからなくなった。たぶん、米艦隊は、日本の連合艦隊の帰り道を待って、自分たちの武力を示そうとして、九州南方を遊弋し、毎日偵察機を飛ばして連合艦隊の通り道を探り、故意に遭遇を試みたのだろう。”
”こうして、日本とアメリカの艦隊は、緊迫した危機に直面しながら接近していった。しかし、意外にもアメリカの旗艦から日本の旗が上げられ、17発の礼砲が鳴り響いた。連合艦隊の旗艦も返礼の砲撃を行い、双方が敬礼を交わしてすれ違った。しかし、数時間後の午前2時、アメリカの旗艦「マニラ」が謎の爆発を起こし、沈没した。その後続のアメリカ艦隊は、日本の水雷艇による攻撃と思い込み、銃砲を乱発して艦列を乱し、衝突事故も起きて大混乱に陥った。”
ここからが大変です。アメリカでは、アメリカ人が「ジャップ」という言葉で日本人を攻撃する運動を行い、ワシントンの日本大使館を襲撃し、日本の国旗を破り、館員を傷つける事件が発生しました。これが日本に伝わると、日本でも同様の行動が起こり、アメリカ大使館を襲撃する連鎖反応が起こりました。アメリカ大使は帰国することになり、「怒って旗を降ろす」ことになりました。翌日、日本はアメリカに宣戦布告し、戦争が始まることになりました。これが「次の一戦」での開戦に至る経緯です。
旗艦「マニラ」が爆沈するというシナリオは 1898年の米西戦争の発端となったパナワ湾での米戦艦「メイン」の爆沈事故をなぞったものです。燃料である石炭から出たガスが原因で爆発が起きることは当時は珍しいことではありませんでした。連合艦隊の旗艦であった三笠も日露戦争終結直後、佐世保港に停泊している時に弾薬庫の爆発で沈没したのですが、これも石炭から出たガスが原因ではないかと推定されています。戦艦「メイン」の爆沈を米国メディアはスペインの仕業によるものと書き立てました。国民を煽り、政府を開戦へと駆り立てたのです。
水野の記述は、戦争には原因があり起こす勢力があり発端は偶発的としています。21世紀でもそれは変わっていないのでしょう。