満蒙への道(36)-日米未来戦争(3)-

現在の日米関係からは想像も出来ないことですが、日露戦争後の日米関係は、民間ジャーナリズムをも巻き込んで、将来における日米戦争は必至であるとする著作が、盛んに世に出回るようになりました。その口火を切ったのはアメリカ側で、1909年、ホーマー・リーという中国系の冒険家が「無知の勇気」という本を書いています。

ホーマー・リー

そして、ドイツ皇帝のウイルヘルム二世がこの本を読んだということを、ニューヨーク・タイムズは次のように伝えています。

カイザーはリーの著書が好き-『無知の勇気』について熱心に語る。

カイゼル

ニューヨーク・タイムズ特別電 ベルリン、1911年8月19日 – ホーマー・リー将軍の書籍『無知の勇気』がこの夏読まれたと、ニューヨーク・タイムズの特派員が特電: この書籍について、皇帝ウイルヘルム二世とプロイセンのヘンリー王子がアメリカ人の友人に熱烈に語っているという。カイザーの「黄禍論」に対する信念は、15年前にこの考えを描いた時と同じくらいであり、彼の想像力に強い訴求力を持つ「無知の勇気」という著書は彼の心をとらえた。 {1911年8月20日、ニューヨーク・タイムズ}(チャットGPT訳)

カイゼルの黄禍論信奉については、別途述べてみることにします。

ホーマー・リーという人について、彼には将軍(General)という肩書きが付いていますが、この称号は孫文が革命資金調達の為の交換条件として与えた称号であり、リーが米国軍隊のなかで将軍であったということではありません。孫文にはこうした軽いところがあって、辛亥第三革命のときには、彼を支援した日本軍人の山中峯太郎には参謀長の肩書きを与えている、といった具合です。

「無知の勇気」は原題のThe Valor of Ignoranceを直訳したものですが、明治44年に出版された日本語訳本の題名は「日米必戦論(原名無智の勇気)」となっています(訳者:望月小太郎)。望月はこの題名のほうが分かり易いからと、序で題名変更の理由を述べています。

無知の勇気

この本では、訳題名の通り、なぜ日米で戦争が必至であるかということが述べられています。更に開戦となった場合、日本軍の採る軍事作戦がどのようなものになるかということまで詳述されています。

そこには、カリフォルニアとフィリピンへの日本の仮想侵略の地図が含まれており、そのなかで日本軍がリンガエン湾(ルソン島)に上陸した後の、マニラ占領作戦が正確に予測されています。マッカーサーとそのスタッフが、フィリピン防衛計画を策定する際に参照にしたと言われているものです。

リーは戦争には遠因と近因があるとして

「今回の戦争が起こる原因は、日本の発展と帝国的な野心があることによると言われています。しかし、直接的な原因はアメリカの行動によるものです。」(チャットGPT訳 

と述べています。近因としてあげた米国民の行動とは、カリフォルニアでの日本移民排斥をさしています。

遠因としては、

「日本は、太平洋で軍事的に優位に立ち、工業面でもアジアを支配することができる要素となるでしょう。そして最終的には、地球の未開発の豊かな資源の大部分を支配し、アジアの軍事力や工業力が世界的に優位を誇り、日本皇帝は世界の帝王となることができるでしょう。」(チャットGPT訳)

と日本の帝国主義的野心を記述し、その実現のためには 

「今、日本が太平洋で主導権を握ろうとする中で、まだ克服しなければならない国があります。それはアメリカ合衆国のことです。」(チャットGPT訳)

としているのです。

リーの見解はおそらく当時の多くの米国民の共通認識であったと思われます。即ち、突如として東洋に現れた新興軍事大国により、米国が併合して間もないハワイやフィリピンを脅かされるのではないかという心配です。日露戦争後に日本が採った満州単独経営の政策に対して、先ず最初に資本家と米国政府が反発し、次に米国民の間で安全を脅かされるのではないかという恐怖が発生したのです。リーのいう近因が作用したのはいうまでもありません。残念ながらリーの視座には、自国がこの10年の間(1898-1908)に展開した帝国主義政策、ハワイの併合やフィリピンへの侵略戦争への反省が全く見あたりません。勃興した帝国主義国の間で最終的に戦争が発生するという視座は後で紹介する石原莞爾の「最終戦争論」と酷似していると思うのです。

ドイツのカイゼルも、同じ過ちをイギリスとの競争においてやってしまい、没落することになってしまいました。