俳句的生活(15)-水師営の棗ー

作品集(秋)の旅順の句の説明で、水師営の棗が日本にもたらされた経緯を述べましたが、その棗の木が茅ヶ崎にもあることを知って驚いた経緯があります。十間坂の円蔵寺です。寺の境内の片隅に、乃木大将の石像が建っていて、傍らには、水師営の棗と銘打った石碑と2本の棗の木が植えられていました。佐々木信綱の「水師営の会見」に至っては、歌詞の全てが彫られた石碑までが置かれていたのです。

この寺と乃木さんとの関係ですが、この寺が相模八十八か所の札所の76番に当たっていて、どうやら四国八十八か所の金蔵寺という同じ札所番号76の寺を、師団長であった乃木中将が宿舎にしていた、という繋がりらしいのです。らしいといったのは、この寺の外的情報状況からの推測に依るもので、まだ寺からの確認を取っていないからです。金蔵寺という寺は、私の故郷の町にある寺で、番号が同じというだけの繋がりでは、少々無理があると思うのですが。。(余談ですが、静子夫人が正月に金蔵寺へ乃木を訪ねて来た時、乃木は、兵たちのことを思うと自分だけが会うことは出来ないといって、帰したという逸話が残っています。)

水師営の会見の歌は、尋常小学校で五年生の音楽曲となっていました。以前、俳ゆう会で、終戦時に10歳になっておられた方に、この歌をご存じであるかどうかを伺ったことがあるのですが、その方はご存じではありませんでした。疎開かなにかで、学校では歌われなくなっていたのかも知れません。

夏草や弾痕のこる水師営

乃木像
水師営
同行二人
水師営会見の歌

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