写真で見るプレバト俳句添削(49)-3月23日ー

お題はレトルトです。

レトルト

森口瑤子(名人3段) 白粥は三日目春の風邪飽きた

白粥

森口さん: 風邪を引いちゃって体調が悪くて、まあレトルトの白粥ばっかりて食べていて、外は春で出かけたいのに、本当にもうだるい体も白粥も全部飽きちゃって、といような句で、コロナの今にもちょっと掛けていて、”飽きた” はそのまま詠んでいる感じはしますけど、”飽きた” には ”悲しい” ”切ない” 気持ちを込めて書きました。

夏井さん: この句の評価のポイントは、この語順を選んだ効果の是非です。

浜田さん: 1ランク昇格! 先生から「映像から心情へ」

夏井さん: 白粥のアップからっていうのは、良い判断だったと思いますね。この白粥というものは、今日でもう3日目なのよと強調する訳ですね。この3日目という時間経過も「風邪」が季語で出てきた瞬間に、そういう3日目なんだとちゃんと腑に落ちてくる訳です。一言で ”飽きた” と言っているけれども、色んなものに飽きているって事が、言葉の奥に見えて来ます。お粥の味にも飽きました、3日間同じ部屋にいるのも飽きました、風邪の状態が続いているのにも飽きました、と。口語の効果をよく分かってらっしゃる。直しはありません。

游々子: 夏井さんのこの解釈は、やや無理があります。最初にこの句を読んだとき、”飽きる” のは当然に白粥であると思い、二つの言葉が離れすぎていると解釈します、”風邪” に対しては ”飽きる” とは言いませんから。私なら「三日目の白粥飽きた春の風邪」と、白粥と風邪の間に ”飽きた” を置いて、”白粥飽きた” と ”飽きた風邪” と二つに掛かるようにします。前者の ”飽きた” は口語の飽きるの過去の終止形、後者の ”飽きた” は口語の飽きるの過去の連体形です。この方が原句よりリズムが良いと思います。


千原ジュニア(永世名人) コロナ7日目レトルト絞る遅日

コロナ

ジュニア: なんか要らんことをしたなと思っています。コロナに感染したんですけど、7日目にやっと今日で最後のレトルト、さあ明日から始まるぞということで。”七” を 数字の ”7” にしたくなって、それは俳句としては良くないなと思いながら。要らないあがらいをしたのかなと、森口さんの ”三日目” を見ても。

浜田さん: ボツ! 先生から「あと少しのリアルを」

夏井さん: 「コロナ7日目」という状況と「遅日」を取り合わせた、ここは良いと思います。そしてこの数詞の問題はありますね。確かに俳句では漢数字が基本ですが、あえて「7」を使いたいという場合には、ここはご本人に任せていいかも知れません。あと少しのリアルというのは、「絞る」に出来るのではないかと。ご本人も仰いましたね、元気になってよし明日から。ギューっと絞る最後の一滴まで、とそんな感じでしょ。でしたら、

添削 コロナ七日目レトルト絞り切る遅日

そしたらここに力が入り、リアリティーが増加し、遅日という季語にポーンと着地する。

ジュニア: リズムが良くなった。

游々子: この句でのジュニアさんの失敗は、破調の句での17音に拘ったことです。773となっていて、いかにもリズムが悪いです。夏井さんの添削は、775となっていて、575のリズムに近くなっていることによるリズム感の向上です。17音というのは、575の結果であって、破調においては何の意味もないということを自覚していなければなりません。数詞についての夏井さんの見解はひとつの救いです。これは旧仮名を使用する場合にも当て嵌まることで、何が何でも旧仮名でとなると、「が」を「ぐわ」とすべきということになって、破綻してしまうことになります。文語でも口語でも、旧仮名でも新仮名でも、漢数字でも数字でも、句の内容によって使い分ければ良い、という立場に立つべきでしょう。


梅沢富美男(永世名人) 湯玉ふつふつ春の厨の砂時計

砂時計

梅沢さん: わたし料理得意ですから、レトルトあんまりやった事ないんですよ。今回お題があったもんですから、買ってきて試してみたんです。そしたらね、湯玉がボコボコ出てくるんですよ。それがとっても楽しくて面白くて、つい砂時計を忘れてしまう位楽しかった。この実体験を詠みました。

ジュニア: これは行ったと思います、いいですよ。本間にもう、ちょっと足踏みし過ぎて地面へこんで来てるんで(会場爆笑)。

森口さん: 私も行ったと思います。五感にも訴えてくると思いますし、春の状況もすごく浮かびます。

浜田さん: 何回も裏切ってきたからね。掲載決定! 梅沢富美男、句集完成! 先生から「おっちゃんらしい締めくくり」

夏井さん: いい句でしたね。先ず湯玉のアップですよ。「ふつふつ」というこのオノマトペの後に、「春」という大きな季語が出て来ます。ここの「厨」まで来ると、あっ台所。この湯玉というのは鍋の中に違いないと、ここら辺で光景が立ち上がってくるでしょう。そして褒めないといけないのが、この着地なんです。砂時計というものに焦点を持って来ると、どうしてもどっかで何分茹でるとか、ゴチャゴチャ言いたくなるんですが、そんなこと言わなくてもいいというのが、おっちゃんは分かってるんです。「春の厨の砂時計」というものを最後に置いただけで、春という季節というものがキラキラし始めるんです。湯玉にも厨の中にも砂時計のガラスや砂粒にもキラキラと及んでいると。料理好きなおっちゃんらしい「厨と砂時計」、いいじゃないですか、ねえ~。長かったけどホッとしました。ホッとしたとしか言いようがないです。

浜田さん: 嬉しいからボタン押しちゃおうかな。

梅沢さん: やめて下さいよ。そのままにしといて下さいよ(会場爆笑)

游々子: この句は、俳句の作り方に示俊を与えています。先ず中七下五の「春の厨の砂時計」が出来上がり、次に上句をどうしようかとしたときに、実体験の「湯玉ふつふつ」が浮かんできた、という順序でしょう。上五にはその他色んなものが有り得ますが、梅沢さんの「湯玉ふつふつ」は実体験であるがゆえにリアリティーを備えたものになりました。

梅沢さんの句集「一人十色」は4月7日から発売され、既に予約受付がされているそうです。