写真で見るプレバト俳句添削(46)-令和5年2月23日

今回のお題は富士山です。

富士山

1ランク上の査定の出場者は、フジモン、村上、梅沢の3人です。

フジモン 春の山ひつじに空の名を与へ

羊

フジモンさんは名人10段になってから、現状維持ー2つ前進―前進―後退ー前進で現在、永世名人に王手を掛けています。

フジモン: 春の山にある牧場で、羊の赤ちゃんが生まれて、パッと空を見たら綺麗だったんで空の名前を付けたっていう、

梅沢さん: フジモンらしいわな、可愛くて。ひつじに空のって、”空ちゃん” て名前を与えた?

フジモン: いや、空って色々あるやないですか。オスやったら ”快晴くん” とか。

夏井さん: この句の評価のポイントは、後半「空の名を与へ」の表現の是非なんですが、清水さん、A渡して。

アシスタント: 今回はフジモンさんの解説次第で結果が変わります。

フジモン: エッ! マジですか?

浜田さん: 今の喋りも重要やったんですよ。

フジモン: もう一回やらせてもらっていいですか?

浜田さん: 1つ前進! そういう訳でフジモン、永世名人!

アシシタント: 藤本さんは史上5人目の永世名人となりました。

フジモン: 長かった~

夏井さん: 中七下五のフレーズに対して、「春の山」を置いたのが先ず良かったですね。ほのぼのとして広がりもありますし。そして今日の一番大事な処です。おっちゃんも指摘しましたが、生まれた羊に、”空ちゃん” という名前を付けたということであれば、「名を与へ」という言い方はしないのではないかと思うわけです。「春の山ひつじに空と名付けたり」とか、もう少し軽い言い方になりますよね。でもそういう言い方はしてなくて、こういう言い方にしているのは、春の空が水色だったら、”水色ちゃん” でもいいし、霞がかっていたら、”かすみちゃん” でもいいし。そしたらおっちゃんのあの 「空ちゃんかい?」というのに、見事にあなたはこの句の良い処を語られましたね。ジュニアさんもそうなんですが、このお二人が思いのほか早く永世名人になったのは、梅沢さん・東さん・村上さん、この人達の色んな失敗や成功したデータをちゃんと見て学んでらっしゃる。ですから前の二人にも一応お礼ぐらい言ってもいいのかなと思います。

フジモン: いや~すいません。ありがとうございす~

梅沢さん: もうちょっと言い方ないのか。言葉が上がるちゅうのは上から目線だぞ。「実る程頭を垂れる稲穂かな」

全員: 決まらんかったな~

游々子: 空と羊の組み合わせからは、漱石ファンとしてはどうしても「三四郎」の、三四郎が美禰子に翻弄される場面を想起してしまいます。美禰子が雲に、”ストレイシープ(迷える仔羊)” という名を与えた場面です。色々な羊がある中で、わざわざ聖書から引用してストレイシープ。フジモンの句に嵌め込むと「春の山雲に羊の名を与へ」となります。原句の ”羊に空の名” と比較してみますと、原句の方がはるかに広く夢がある措辞で、原句は名句といって良いと思います。


村上 富士山の胴へふらここ漕ぐ少女

ブランコ

村上さんは永世名人となってから、7回中6回掲載となっています。

村上さん: ”ふらここ” というのは ”ブランコ” のことで、春の季語。富士山が大きく見える公園や校庭があると思うんですが、ブランコを漕いでいる少女が、富士山の胴体へ向かっていっているような光景を、、

梅沢さん: 読んだ時にちょっと「あれ?」って感じるんですよ。富士山の胴へふらここ漕ぐ少女って何してんだろうかって。これ掲載決定なら手をついて謝りますよ。

浜田さん: ボツ!

全員: 梅沢さん、嬉しそう!

夏井さん: 最近 ”富士山” と ”ブランコ” の句を折々見るんです。ただ、胴へ向かってと言われた時に、どういう距離で漕いでいるんだろう?と、そして元気に強く漕いでいる?と思うと、”ふらここ” という優しい言い方で、しかも少女ということになると、途中からテイストが変わっているんですね。ですから富士山の胴を活かすなら、胴を蹴るぐらいに強くした方がいいと思うんです。

添削 富士山の胴を蹴らんと漕ぐぶらんこ

そうすると胴が明確に見えて、蹴るかのように勢いよく。それやりたかったんじゃないの、そのヘラヘラ笑い。

游々子: この添削は、原句の胴に拘ったため、句としては今一つのものになっています。原句はそのまま散文で、”富士山の胴に向かってふらここを漕ぐ少女” と置き換えることができて、俳句として熟成していないのです。俳句的に詠むには「ふらここや富士より高く漕ぐ少女」とするのが良いでしょう。また、ふらここの少女を詠むのであれば、私の新聞入選句ですが「ふらここや光を揺らすおさげ髪」というのもあり得るでしょう。


梅沢 沸点の富士に近づく暮の春

ボツ! 

游々子: この句は限りなく才能無しに近い句ですので、批評は省略します。ボツが何度も連続して続いていますが、大相撲の大関の番付のように降格制度を導入すべきだと思います。永世名人という称号は、将棋の世界より取って来たものでしょうが、正式称号として「プレバト俳句永世名人」としていないと、永世名人の名を穢すことになります。下の写真は、茅ヶ崎の木村義雄14世名人の自宅に大山康晴15世名人と中原誠16世名人が訪れたときのものです。

将棋の永世名人