俳句的生活(206)ー北条義時ー

北条義時

明日で今年のNHK大河、鎌倉殿の13人が最終回を迎えます。マイナーな武将の北条義時が、三谷さんの脚本でどのように描かれるのか、興味あるところでしたが、最新の学説も取り入れて、とりわけ実朝は単に北条の傀儡ではなかったなど、秀逸のドラマであったと思います。

義時についても、我々より一世代前においては、完全な皇国史観に基づいて、義時は日本史上最大の極悪人とされてきました。三谷さんは、当然ながら、その史観には??を投じています。本稿は歴史上の先人たちがどのような義時像を持っていたのかを明らかにし、現代に至っているかを述べるものです。

1.日蓮 ー肯定

日蓮

 日蓮は義時の死の約50年後に鎌倉で布教活動を行った僧侶です。彼の書状には、義時について「相州(義時)は謗法(ぼうほう)の人ならぬ上、文武きはめ尽せし人なれば、天許して国主となす」とあり、一方、後鳥羽上皇については「隠岐法皇(後鳥羽上皇)は名は国王、身は妄語の人、横人なり。権大夫殿(義時)は名は臣下、身は大王、不妄語の人」と書かれたものが残っています。謗法とは、仏教の正しい教えを軽んじる行為のこと、妄語とは嘘をつくことを指しています。義時と後鳥羽上皇をこれほど対比させたものは他にはありません。

2.北畠親房 ー肯定

北畠親房

 北畠親房は、南朝の正当性を説いた「神皇正統記」を書いた人で、皇室の立場より足利尊氏に対抗した公卿です。そうした立場にも関わらず、彼は「神皇正統記」の中で、後鳥羽上皇の挙兵を批判し、義時を擁護しているのです。

3.大日本史 ー否定

徳川光圀

 大日本史は、二代目の水戸藩主であった徳川光圀の命で編纂された歴史書で、幕末の尊王攘夷の精神的支柱となった書物です。南朝の立場より足利尊氏をこき下ろしていますが、義時についても、神皇正統記とは真逆に朝廷に弓引いた人物として否定しています。

4.新井白石 -否定

新井白石

 新井白石は、徳川綱吉と吉宗の間の7年間、幕政を担った儒学者です。彼は北条氏を頼朝の家臣という身分でありながら、源氏将軍より政権を奪った簒奪者と位置づけ、「読史余論」という彼の著した史論の中で「陪臣にして国命を執る」と批判しています。儒教において簒奪は絶対に許せない行為であったのです。

4.勝海舟 ー肯定

勝海舟

 同じ幕臣であっても勝海舟は、儒教の史観には縛られていません。明治になってからの回顧録「氷川清和」では、義時を「不忠の名を甘んじて受け、自身を犠牲にし国家に尽く」した人物であると讃え、「幕府瓦解の際には、せめて義時に嗤われないよう、幾度も気を引き締めた」と語っています。朝廷と戦い、幕府を守った義時に、無血開城を行った自身を重ね合わせているのです。

5.国定教科書 -否定

国定教科書

 明治から昭和20年まで、3上皇を配流し、天皇を交代させた義時は、日本史上最大の不忠者と教えられてきました。「大日本史」をベースとして築かれた合理性欠如の皇国史観が日本を敗戦の道に歩ませたことを忘れてはなりません。

私自身の義時像は勝海舟と同じです。長い歴史のスパンで見れば、朝廷というのも治世における一つの機関にしか過ぎず、承久の変より百年後に後醍醐天皇が起こした倒幕も、世の中を混乱に陥し入れたこと以上の意義を見出すことは出来ません。