写真で見るプレバト俳句添削(36)-(8月11日#2)ー

後半の1ランク上の査定の出場者は、犬山紙子、キスマイ横尾、藤モンの3人です。

犬山紙子(特待生5級) 

私のいない部屋長生きの金魚

犬と金魚プレバト俳句添削

犬山さん: 昔付き合っていた人と金魚すくいして、私は一緒に金魚を飼っていたんですけど、別れて私はその部屋に居ないと、、そこで金魚は生き続けているという、、

夏井さん: この句のポイントは、”私のいない部屋” という口語表現を選んだ是非です。

浜田さん: 1ランク昇格!

夏井さん: 破調のリズムをどう評価するか? というところで意見は分かれるかも知れませんが、作者の意図として、私のいない部屋というものと、居なくても長生きしている金魚と、ここの対比はしっかり意図が伝わります。で評価のポイントになる口語表現の話なんですが、文語でやるとどうなるかというと、”我のゐぬ部屋や” とこんな言い方になるんです。”我のゐぬ部屋や長生きなる金魚” こんな言い方になるんです。そうなったときに、意味は一緒だけど、つぶやきとしての生々しさが愕然と失われる。この場合はこの口語が正解です。直しはありません。

游々子: 口語と文語の問題ではなく、破調の必然性があるかどうかの問題です。この句は簡単に五七五に直せます。「長生きの金魚や我のいない部屋」


キスマイ横尾 (名人10段)

浄水場の金魚懐メロのサビ

浄水場プレバト俳句添削

横尾さん: 金魚調べたら、浄水場の方で、水が汚染されてないか金魚で試したりするみたいなんで、あ~これはいいやと思って使いました。それでちょっと日本の水が綺麗とか、平和をどうしたら言葉にできるかといったときに、懐メロのサビが分り易いかなと、取り合わせにしました。

夏井さん: この句のポイントは、”浄水場” という場所を選んだことの是非です。

浜田さん: 1つ前進! 先生から季語「金魚」への新たな気付き。

夏井さん: 今回の様に、金魚の写真を見て一句となると、もう金魚という季語で一句、と同じになりますね。ですからどういう場所の金魚か? と発想していくのも、一つのやり方であるんですね。そんな中でよくこんな場所が出て来たな、という風に思いました。私も浄水場と金魚の関係を調べてみたら、今横尾さんが仰ったような、金魚の生き方・使われ方を知って、ちょっと驚きました。そうなってくると、この浄水場の金魚は季語というよりもうちょっと違うものに変質している、もうむしろ無季の句に近いような。金魚の生き死にの意味がガラッと変わってきますよね。ということを提示して下さったという意味でちょっと驚いた一句でした。が今日オッチャン居ないので、一言言わせてください。永世名人への道です。五七五が俳句ではやっぱり一番いいのです。五七五を忘れないことは、横尾さんにとってとても大事なことですから。そこだけね。

浜田さん: 先生直しは?

夏井さん: 直しは要りません。

夏井さん: 今日の夏井さんは、破調の句への見方が、犬山さんのも含めて今までと違っていますね。この欄で私は何度も繰り返していますが、破調の句を是として、それで尚且つ17音に拘るのはナンセンスということです。17音というのは、五七五を足し算した結果であって、五七五を守らないのであれば、17音にも拘ることはないということです。破調というのは、有季の自由律です。古来、日本の詩歌は七五調・五七調のリズムに立っていることを忘れてはなりません。この句、夏井さんは、”直しは要りません” ということですが、どうして五七五に直さないのでしょうか? 私なら、「懐メロのサビや浄水場の金魚」と致します。これは句またがりになっていますが、破調ではありません。


藤モン (名人10段)

藤モンさんは前回二つ前進という快挙を成し遂げています。

藤モン: 勢いがあるのでポンポンと行きますよ。五七五なんでね~

金魚鉢金魚のいなくなる屈折

金魚鉢プレバト俳句添削

藤モン: 金魚鉢ってちょっと丸みを帯びて湾曲してるじゃないですか。角度とか位置に依って金魚が消えるんですよね。小学生の時金魚飼ってて金魚鉢で、あっ消えたとかって遊んでた、その思い出を俳句にしました。

横尾さん: 五七五ではない!

藤モン: 完全に忘れてた!

游々子: これは句またがりの句で、破調と異なって五七五のリズムを備えています。

夏井さん: こういう瞬間はありますね。問題なのはこの後半なんです。例えば平場の人だったら、「いなくなる」と書く勇気がなくて、「見えなくなる」とか「隠れる」でごまかす。それから最後の着地も見えなくなる「角度」とかでごまかす。それでは詩にならないと名人は判るのです。ですからこれは、色んな意図に基づいてちゃんと吟味して作った句と判ります。

游々子: 夏井さんはつまらないところに着目しましたね。この句で褒めなければいけないのは、角度によって見えなくなるという一瞬を切り取ったということと、その原因としての屈折を、見えなくなったという結果のあとにもってくることによって、原因ー>結果という説明的になるのを防いだことです。難があるのは、”屈折” という光の物理的用語を使ったために、句が理屈っぽくなってしまいました。もう一つは、”金魚鉢金魚” と金魚を繰り返していることです。金魚鉢に居るのは金魚に決まっていますから、別の言葉にした方が良いです。私なら「金魚鉢主の見えなくなる角度」と致します。