満蒙への道(29)-軍閥(1)ー

現代の日本人にとって、”軍閥” とは何であるのか、相当に判りづらい用語となっています。その理由は、中国においては ”軍閥” と称された軍隊集団があって、袁世凱から張作霖までの彼らの軍事組織を指しています。一方、戦前の日本における軍閥というのは、軍隊集団ではなく、陸軍の中に形成された派閥を意味しています。”軍部”という用語とほぼ同一のものです。軍閥=軍部、この実態は、下級将校や兵士を含めた日本軍全体ではなく、陸軍大学を優秀な成績で卒業し、陸軍省や参謀本部に勤務し、派閥をつくり政治に容喙した約50名ほどの40歳代の佐官級の軍人を指しています。

陸軍大学(陸大)とは、陸軍士官学校(陸士)を卒業し、隊付将校を3年程度経験した中尉が、連隊長の推薦を得て受験したものです。明治に創設され、太平洋戦争終結までの間に、陸士の卒業生3万4千人のうち、9%にあたる3千人が陸大に進んでいます。陸士だけで終わった軍人は、よくいって大佐で連隊長どまりであったのに対して、陸大を出たものは、病気や不祥事を起こさない限り、将官の地位は確実という、日本の軍隊組織は超学歴社会だったのです。

陸大の卒業者で成績優秀であったものには、天皇より、”恩賜の軍刀” というものが与えられました。下の写真で左手に持っているものです。

陸軍大学

本稿は、”軍閥” の発生源となった陸軍大学から入っていっていますが、入学に際して、どの程度の学力が求められたか、マニアチックな人には興味があると思いますので、受験参考書に載っている数学の例題を2つほど掲げます。この参考書は国会図書館で見つけたもので、この図書館には何でも揃っていると感心したものです。

<問題1> 今大きな樽があって酒が入っています。これより酒を1升程とり、代わりに水を1升継ぎ足し、よくかき混ぜる。これを何回か繰り返すと、酒と水の割合が、35対11 となった。最初に樽の中には酒がいくら入っていたか?

<問題2> 今、中隊に80名の下士卒と3名の将校がいるとします。これより3名の下士卒と1名の将校で1組の組をつくるとすれば、何通りの組が有り得るか?

この数学のレベルは、現在の高校2年生のもので、年齢としては戦前の旧制中学5年生、すなわち士官学校を受験する時期の生徒にあたります。興味ある方は、解答にトライしてみてください。