俳句的生活(200)ー藤間柳庵揮毫の石碑(3)ー

車いす押されて眺む神の滝  游々子

茅ヶ崎には熊野神社が二つあります。高田と小和田にです。高田の熊野神社は、江戸時代の万治元年(1658年)に高田村の旗本であった大岡美濃守忠高(大岡忠相の実父)が、紀伊の熊野本宮大社から分祀し創建したものです。一方、小和田の熊野神社の創建は、平安末期にまで遡り、神社を管轄する文部科学省文化庁の神社明細帳には、”相州大庭荘小和田村鎮守” として登録されています。平安末期にこの辺りを支配していた大庭氏と関係のあった神社と類推されます。この小和田の熊野神社に、柳庵が揮毫した石碑が二つ残されています。

碑文は、

當所中
不動大明王
富士浅間大神
石尊大権現
柳庵欽書

となっています。もう一つの碑は、

當村中
御嶽山大権現
柳庵欽書

というものです。御嶽神社と小和田の熊野神社との関係はよく分からないのですが、熊野神社には御嶽大神の石柱も立てられています。

紀伊の熊野神社には、平安末の院政期には、上皇たちが度々詣でています。平治の乱も、平清盛が熊野詣に出かけた隙に、源義朝が仕掛けたクーデターでした。大庭氏はこの時、兄の景義は源氏につき、弟の景親は動きませんでした。これが乱のあと、弟が大庭氏の実権を握り、平氏に仕える下地となりました。

小和田には、本宿と新宿という二つの地域があります。現在の熊野神社は新宿にあり、元禄年間に、現在の東海カーボン茅ヶ崎工場あたりの本宿にあった神社が遷宮してきたものと考えられています。土地の伝承では、元々の神社の幣束が、強風で舞い上がり、それが落ちてきたところに、神社を移したとのことです。