俳句的生活(198)ー藤間柳庵揮毫の石碑(1)ー

藤間柳庵は若い頃、書を江戸の秦星池という書道家に学び、茅ヶ崎市内に揮毫された石碑が多く残っています。筆まめという性格と相まって、人から揮毫を頼まれたら断り切れなかったのだと思います。本稿より数回にわたり、それらを紹介していくことにします。

この写真は、浜之郷の龍前院境内に納められている「馬頭観音碑」で、半鐘の左側に置かれています。正面の文字は、”馬頭観世音” と読めます。

これは右側面のもので、

村々施主之面々
同 馬持中

となっています。

これは左側面のもので、写真からは判読しにくいのですが、

柳庵居士書
元治二乙丑稔春正月吉日建焉

となっています。元治二年は西暦では1865年、四月には慶応と改元された年です。三年後の正月には鳥羽伏見の戦いが起きています。柳島の旗本であった戸田氏も、陸軍奉行並として、大阪に出陣しています。


馬頭観音とは元々、仏教での六道思想から来ていて、畜生道の衆生を救ってくださる観音様ですが、近世になって、馬が荷の運送の主役となってからは、馬を弔うためのものと解釈されるようになりました。茅ヶ崎に馬頭観音碑が多いのは、東海道という大街道が通っていたせいであるのは言を待ちません。

飼葉煮る”あお”と別れの彼岸かな  游々子