満蒙への道(1)ー序ー

麦の秋時を駆けゆくスキタイ馬   游々子

もし日本の戦前というものが、明治維新から昭和20年の敗戦までの77年間だとすると、今年は昭和20年から77年間の戦後を終えた年となり、近代日本における3回目の77年をどのような姿のものにするかの議論が起こるはずでした。ところがロシアのウクライナ侵攻は、明るい未来への展望を打ち砕き、人々の気分を100年前のものに逆戻してしまいました。

嘘に嘘を塗り重ねるロシアは、かっての連合国に枢軸国も含めた全世界を敵として、必ずや敗れ去るルートに入ってしまいました。ロシア(ソ連)の頂点は、対独戦に勝利した1945年5月9日とすれば、77年後の今年2月24日のウクライナ侵攻の日が奈落の底に転落した日として記憶されることになるでしょう。

同じように日本も、残念ながら戦前、坂の上の雲を目指して、それを掴んだかに思った次には、坂を転げ落ちていく歴史を辿りました。それは日露戦争で獲得した満蒙の権益を守ることを、満洲を領有するしかないとして、満州事変に至った四半世紀の歴史でした。同じことがロシアによって繰り返された今日、この不幸な日本の歴史を振り返ってみることは、意義あることだろうと思い、稿を興した次第です。

手法としては、時代の風を感じとるため、当時の新聞に、当時の出来事がどのように書かれていたかを参照しながら、一つ一つの出来事をエピソードとして、ブログ形式で紹介していくことにしました。新聞としては、茅ヶ崎図書館に、明治から今日までの朝日新聞が、縮刷版として置かれている理由により、主に朝日新聞を参照しています。四文字熟語としては、”臥薪嘗胆” から ”暴支膺懲” まで、すなわち、日露戦争の前から、支那事変が起きたときまでをカバーすることにしました。退屈な記事にならないよう、なるたけ写真を添付することを、心掛けますので、お読み下さるよう、お願いします。(游々子)

長野県阿智村の満蒙開拓記念館
満蒙開拓平和記念館 – 満蒙開拓平和記念館ページ (manmoukinenkan.com)より

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