俳句的生活(194)-岩沢若粒の句碑ー

俳句的生活(188)で、宝生寺の近くにある北向き地蔵を紹介しましたが、その基壇には、このお地蔵さんを建立した西久保念仏講中の人達の名前が彫られています。その中に、岩沢四郎、岩沢□□衛という二人の岩沢氏の名があります。このことが気になって、故岩沢博徳(日月)さんのお宅を伺ってきました。応対してくださったのは、日月さんの息子さんです。

実をいえば、岩沢邸の庭に置かれている、日月さんのご尊父の句碑の写真を撮らせて貰いたくて伺ったのですが、驚いたことに、数日前にも、この写真を撮りにきた人がいるとのことでした。

日月さんのお父さんのお名前は、沢次さんといい、俳号を若粒とする近隣に名を知られた俳人でした。石碑に刻まれている句は、

爽やかや稲の穂波を総身に

というものです(添付1)。沢次さんは、矢畑にあった東洋カーボン(現東海カーボン)の職場句会の指導をされていて、この石碑は、その謝意をこめて、東洋カーボン文化部で造ってくれたものだそうです。念仏講中の中の人物については、息子さんは聞いたことがなく、古文書も、宝生寺が火災に遭っているので、寺にも残っていないのではないだろうか、ということでした。日月さんのお宅は、岩沢の本家で、宝生寺の近くには、分家があります。小沢、山口というのも岩沢の一族で、江戸時代には、大きな血縁関係があったのでしょう。

岩沢家の玄関には、日月さんご夫妻の短冊(添付2)と、三橋松童氏の色紙(添付3)が掛けられていました。息子さんには、撮らせてもらった写真のHPへの掲載の許可を頂きました。本人たちも喜ぶであろうとのことでした。

蟇鳴くや農と俳句の親子鷹

添付1
添付2
添付3