俳句的生活(171)ー霜月騒動ー

鎌倉時代も中期を過ぎると、北条得宗家の力は益々強くなり、北条家の家人が台頭してきて、御家人と権力を競うほどになってきました。そうした状況の中、8代執権北条時宗が亡くなった後、弘安八年(1285年)11月に起こったのが、霜月騒動と呼ばれる権力闘争です。

騒動の中心人物は、安達泰盛という御家人で、2001年のNHK大河ドラマ「北条時宗」では、柳葉敏郎さんが、その役を演じています。彼は、元寇での恩賞裁判を担当した人で、九州の御家人の竹崎季長の直訴に対応していて、「蒙古襲来絵詞」の中にその姿が描かれています(添付)。安達氏というのは、今年度の大河「鎌倉殿」で、頼朝の従者で藤九郎という人物が登場していますが、その藤九郎を祖とした御家人です。

安達泰盛という武将は、妹が時宗の正室という、北条氏とも繋がりの深い有力御家人でしたが、時宗没後、北条氏の家人によって滅亡させられ、以後、鎌倉幕府滅亡まで、得宗および内管領と呼ばれた家人による独裁体制が敷かれることになりました。同じ時期、足利氏でも、尊氏・直義兄弟の祖父に当たる人が、騒動の濡れ衣を着せられて自害に追い込まれています。その祖父は、北条氏への恨み深く、自分の三代あとには、天下をとるとの置き文を遺したとされています。

御家人が誅されていく流れの中で、茅ヶ崎懐島も無縁ではありませんでした。懐島は大庭氏のあと、二階堂氏という御家人が支配していましたが、霜月騒動のあと、二階堂氏も懐島を追われ、そのあとには、北条の支流である大仏氏が入って来ました。大仏氏は佐渡の守護にもなった家系で、江戸時代に香川の旗本となる本間氏の一族を、守護代として佐渡に派遣しています。大仏氏は、新田義貞の鎌倉攻めのとき、極楽寺の切通しの防衛に当たった武将です。切通しの防衛が崩れることは無かったのですが、稲村ケ崎の海岸を通って鎌倉に入った新田軍に背後を衝かれ、大仏氏はそこで一族滅亡してしまいました。

月天心素振る竹刀の切先に

Adachi Yasumori.jpg
竹崎季長 – 『蒙古襲来絵詞』, パブリック・ドメイン, リンクによる

ウィキペディアより引用
「『蒙古襲来絵詞』絵九 自邸で竹崎季長の「先駆けの功」の訴えを聞く安達泰盛。」