俳句的生活(167)ー虎狼の国ー

2000年前に司馬遷が著した史記の蘇秦列伝で、蘇秦は秦に対抗する六国に合従策を説くとき、”夫れ、秦は虎狼の国なり、天下を呑するの心有り。”と述べています。昨日より、ロシアによるウクライナへの侵攻が始まりましたが、19世紀後半のロシアが朝鮮への侵攻を準備したとき、初代駐日清国公使館の一人の外交官が、この史記のくだりを引用して、”夫れ、露は虎狼の秦なり” と記し、明治13年に丁度来日していた朝鮮の修信使節団に手渡しています。「朝鮮策略」と題された書簡ですが、21世紀になっても、なお変わらないロシアの体質に接して、「朝鮮策略」の概要を紹介するのが本稿の主旨です。

明治13年、ロシアは新疆イリ地区を武力占領し、更に朝鮮とロシア沿海州との国境である豆満江の河口地域に、軍の大部隊を配置し、虎視眈々と朝鮮を狙っていました。朝鮮の宗主国である清が提示した朝鮮策略での対抗策は、中国に親しみ、日本と結び、アメリカと手を携えて自強し、開国する、というものでした。いわば、中国・日本・アメリカの三国と合従し、集団安全保障の体制を組むべしというもので、力の衰えた清一国では、守り切れないことを自覚した、苦肉の策でした。

しかし残念ながら朝鮮はそうした方向に向かわず、朝鮮策略を受け取った使節団の団長は、優秀な開化派の官僚で総理大臣にまでなるのですが、保守派の抵抗はすさまじく、明治28年に、親露派が煽動したクーデターで、惨殺されてしまいました。ロシアの朝鮮進出を食い止めたのは、日本が国運をかけて戦った日露戦争でしたが、果たしてそれが適切であったのかどうか、その後の歴史の進捗をみると疑わしくなってしまうのは残念なことです。

ウクライナに侵攻したロシアや、これから起こるかもしれない中国による台湾侵攻では、法と正義を守らない虎狼の国に対して、地球規模での合従策により、専制独裁体制を崩壊させることを目指すのが正しい選択でしょう。目先の利益に惑わされず、100年、200年をかけてでも、正義を取り戻すことが必要だと思います。

狼は童話に限る春の森

Kyjiv sofienkathedrale.jpg
Elya (talk) – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

ウィキペディアより引用「ソフィア広場、キエフの中心地」