俳句的生活(163)-飯田九一の句碑ー

茅ケ崎地区に建てられている句碑の中で、数が最も多いのは飯田九一(1892-1970)という人のものです。確認されているものだけで4基存在しています。本ブログでも既に、(134)で長福寺のもの、(162)で輪光寺のものを紹介しています。残り二つを紹介しようというのが本稿の主旨です。

彼の生まれは横浜の綱島で、学んだ学校は東京美術学校でした。もともとは河合玉堂に師事した日本画家でしたが、俳画も良くし(添付1:自画像)、俳句の世界にも入ってきました。奥さんも俳人で、夫婦で度々当地を吟行し、茅ヶ崎の人達を指導してきたが故に、4基もの句碑が造られることになりました。

長福寺の句碑: 踏みて来し雲雀が起臥の野芳し

輪光寺の句碑: うたかたを川の精霊に獺祭

浄見寺の句碑: 物がたりかくて幾世の公孫樹の芽(添付2)

公孫樹はイチョウと読みます。この句碑は、(135)で紹介した鴫立庵十八世芳如の句碑と同じ場所に置かれています。脇には、樹齢200年を超える大銀杏が聳えています。この石碑は、昭和38年に建碑されたもので、裏面には、発起人である あしかび鶴田栄太郎、松風郎鈴木猪、若粒岩沢沢治、まさる小池勝、鶴田桃世といった人たちの名が刻まれています。若粒岩沢沢治とは、岩沢日月師の父親で、若粒は俳号です。

常顕寺の句碑: 御扉や桜の空へあけ放つ(添付3)

常顕寺は萩園通りに面した日蓮宗の寺で、明治の初めには寺子屋が置かれていました。この石碑(昭和55年建立)を造ったのは、小池勝(1901-1981年)という萩園で後半生を過ごした俳人です。自らを九一の門人と称し、句碑の右下にそのことを刻んでいます。彼は昭和27年春の、大山古道の吟行にも参加していて、「伝説の河童を生みし川朧」の句が、長福寺の九一の石碑の裏に刻まれています。

大山の古道を俯瞰揚雲雀

九一自画像
添付1
林哲夫の文画な日々2 by sumus2013 より
九一句碑
添付2
九一句碑
添付3