俳句的生活(140)-東海道の松並木ー

安藤広重や菱川師宣によって描かれた茅ヶ崎の松並木は、当地が砂地であったことで生育に適し、東海道屈指の景観となっていました。万延元年(1860年)の調査では、茅ヶ崎村域(一国の松林中学入口交差点~茶屋町)の松並木の本数は、1176本となっています。それが昭和47年での同じ区間での本数は、151本と激減していました。

江戸時代、これだけの並木を維持出来たのは、幕府の高い見識によるものです。幕府は沿道の村々に、並木管理の通達を出していて、立ち枯れた場合には伐採をして、苗木を植えることや、並木によって道が狭くなっている処は、並木を切るのではなく、道をずらすようにと、命じています。昭和においての激減は、安っぽい経済優先の結果で、幕府とは真逆のことをやってしまいました。

昭和47年から50年を経た現在、松並木の本数がどうなっているか、一本一本数えてみました。十間坂の円蔵寺から駅入口交差点までは、道の両側合わせて20本でした。駅入口交差点から松林中学入口交差点までは、Toto側が55本で、茅ヶ崎高校側が126本の、全部で201本というものでした。

幼木の松が何本もあり、これは昭和62年に、国道事務所によって捕植されたものです。一番松並木が遺されている茅ヶ崎高校前には、補植作業がなされた昭和62年に、案内板が作られています(添付1)。

駅入口の少し西にある東横インの前には、平成24年に、樹が朽ちてきたために伐採された樹齢200年の切り株が、残されています(添付2)。

補植についてですが、一国の歩道には、低木が植えられている植栽地が数カ所整えられています。こうした処を選んで、可能な限りの補植を進めることは、わずかですが、昔の景観に近づけることになると思うのですが、如何でしょうか。

若緑駅へと急ぐ通学子

東海道松並木の案内板
添付1 茅ヶ崎高校前の案内板
松の切り株
添付2 東横イン前の切り株