俳句的生活(139)-南湖金剛院の馬頭観音ー

俳句的生活(121)で、鶴嶺の参道に置かれている馬頭観音を取り上げたところ、呑舟先生より、金剛院の墓地の角にも馬頭観音の石碑があるとの、ご教示を頂きました。建立は明治40年、建立者は亀井要助となっていて、吞舟先生によれば、亀井工業の2代目だそうです。現在亀井工業のある場所は、(103)で添付した震災前の茶屋町の家並図では、亀井湯屋となっていて、その流れであろうということでした。

この馬頭観音は、添付1の写真にあるように、馬頭観音の文字の上に、黒青という二文字が刻まれています。おそらくこれは亀井要助が関わった馬の名前で、場所的にみて商用馬で、その供養で建立したものと思われます。馬頭観音は圧倒的に北部の小出地区に多く残されていて、それは主に農耕用の馬です。柳島では馬頭観音は残されていません。南湖の馬頭観音は、最も南に位置するものかも知れません。

もう一つの可能性は、建立が明治40年ということで、日露戦争の直後であるので、軍用に徴発された馬であることも考えられます。昭和15年に西條八十作詞、万城目正作曲で、松原操、菊池章子、渡邊はま子が歌った「愛馬花嫁」という歌の歌詞で、「黒馬」を「あお」と歌っているのです。昭和15年の原盤がユーチューブで聴けますので、添付2でリンクしておきます。昭和15年当時、松原操は29歳、菊池章子は16歳、渡邊はま子は30歳。三人とも高音の若々しい声です。

厳冬の敵中横断三百里

南湖の馬頭観音
添付1 金剛院の石碑
添付2 愛馬花嫁の歌