俳句的生活(138)-鶴嶺八幡にある芳如の句碑ー

浜之郷にある鶴嶺八幡は、平安時代に源頼義が、下総の乱の平定に向かう途中、戦勝を祈願して、石清水八幡を勧請したのが始まりで、創建は鎌倉の鶴ケ岡八幡よりも古く、由緒ある社ですが、戦国時代の再三の兵火により、江戸時代を迎えたときには、すっかり荒廃していました。これを復興したのが、別当寺の常光院の僧であった朝恵上人で、地頭の山岡氏の援助を得て社殿を再興し、三代将軍の徳川家光から、社領として7石の朱印を得ました。朝恵はこれを記念して、馬場であった420間(764m)の道の左右に松を植えました。これが今に残る参道の松並木となっています。

戦後になり、常光院の廃寺跡から、朝恵上人の墓塔が発見され、参道の北端の左側に移されて、今に至っています。

昭和28年、朝恵上人の徳をしのんで、一般より短歌と俳句が募集され、その選者として、短歌は広野三郎という歌人、俳句では鴫立庵十八世芳如が担い、選者自身の歌と句が、石碑に刻まれ、朝恵上人の墓塔の脇に建てられています。

今もなほ朝恵の松の若みどり  十八世鴫立庵芳如

この石碑の建立は昭和31年のことで、石碑の裏には、郷土史家であり俳人(あしかび)の鶴田栄太郎が碑建立のいきさつを綴っています。十八世芳如の句碑は、まだ他にあるかも知れません。

参道の菰の香ぐはひ冬構

鶴嶺神社の句碑
朝恵上人