俳句的生活(90)-夜明け前ー

島崎藤村の大作に、「夜明け前」というのがあります。この小説は、昭和4年に書き始められ、昭和10年に完結するという 藤村が58歳から64歳まで、足掛け6年を費やしたものでした。これほど長い時間を必要としたのは、おそらく藤村は、残されている資料を丹念に査読しながら、史実を忠実に辿ったためだと推測します。和宮一行の4万人が、木曽山中を通過していく様や、参勤交代が廃止された後、宿場が寂びれていく様など、実にリアルに描かれています。

この小説は、青山半蔵という藤村の父親をモデルとした人が、平田国学に傾倒し、王政復古に歓喜したものの、数年後には、平田国学の政府内での扱いを慷慨・絶望し、半狂乱状態となり、最後は座敷牢に入れられる、という流れを描いたものです。平田国学とは、仏教や儒教は外国から入って来たもので、真の日本の姿ではなく、仏教・儒教が導入される前の、神道に基ずく国家体制に戻さなければならない、とするものでした。一言でそのイメージをいえば、5世紀の大和朝廷のようなものを理想形としたのです。

新政府が幕府に代わる体制として掲げたのが王政復古でしたから、平田国学の重鎮の何人かが政府に入ることになり、そこより平田国学に沿った政策が、太政官令とし何個も発布されていきました。そのような狂信的な政策がもたらした終着点が廃仏毀釈というものです。

茅ヶ崎の西久保に宝生寺というお寺があります。山号を「懐島山」という高野山真言宗の寺で、湘南東部病院の裏門を出たすぐのところにある寺です。ここに、国の重要文化財に指定されている阿弥陀三尊像が安置されていますが、これはもともと、鶴嶺八幡宮の別当寺である常光院が、明治初年に廃寺になった時に、難を避けて宝生寺に運び込まれたものです。これは幸運なケースで、廃寺となり破壊された仏像は夥しい数にのぼっています。文化政策的には、明治新政府というのは、タリバン並みと言ってよいものでした。

政府に入っていた平田派国学者の人達ですが、明治5年には神祇省が廃止されて、徐々に政府から去っていきます。廃仏毀釈のような嵐を巻き起こしたものの、復古的な政祭一致の政体の実現は無理であることが判って来たからです。すると一方で、藤村の父親のように、悶々とする人が現れてきました。小説の中で青山半蔵は、江戸へ来た後、横須賀に立ち寄っています。島崎家はもともとは三浦一族の出身で、半蔵は遠い親戚を訪ねていったのです。

桟(かけはし)をゆらりと跨ぐ蝶々かな

阿弥陀三尊像
宝生寺の阿弥陀三尊像 神奈川県立歴史博物館だより vol26 より