俳句的生活(86)-中村楼(2)ー

俳句的生活(78)で中村楼について記した後、原田積善会と恵泉幼稚園のそれぞれの事務局の方より、売却と購入についての情報を寄せていただきました。相当に繋がって来ましたので、今日はそれを紹介することに致します。

売却については、原田積善会より、昭和18年4月16日に行われた理事会の議事録のコピーを送って頂きました。そこには、積善会が所有する茅ヶ崎の土地6,308坪を、1坪12円で海軍省より買上げられ、その売却金は海軍省へ献納すること、という内容の記載になっています。

購入については、恵泉幼稚園の創設者である高橋誠一氏の著書「私の生涯」に、昭和27年4月30日茅ヶ崎中海岸11,483番地に所在した国有地7,319平方米、建物396平方米の払下げを受け、これを恵泉幼稚園の分園として開設する(後の恵泉第2幼稚園)、と記載されています。

この二つより、積善会が売却して海軍省の土地となったものが、戦後は国有地として管理され、恵泉幼稚園に払下げされたことが、判明しました。中村楼の跡地がミニ開発されずに、素晴らしい環境の幼稚園として残ったことは、大変に嬉しいことです。

余談となりますが、積善会の理事会が行われた昭和18年4月16日の2日後は、山本五十六連合艦隊司令長官が戦死した日です。ラバウルより前線視察に飛び立った山本機は、暗号が完全に読まれていて、途中待ち伏せを受けて、撃墜されたのです。海軍は、暗号解読されているのを気付いていなかったのか、気付いていても対処しようとしなかったのか、どちらにしても残念極まりません。

親と眼を交わす五歳の徒競走

中村楼の別荘地
中村楼の別荘地
「茅ヶ崎市史研究 2007年3月 茅ヶ崎の別荘図」より