俳句的生活(79)-六道の辻ー

今、全国には、六道の辻と呼ばれるところが、幾つかあります。単に六叉路のところもあれば、京都東山の鳥辺山のように、六道が仏教の六道と結びつき、小野篁が、毎夜冥土に通ったとされる伝説までが生まれたところもあります。冥土へは井戸から入ったということで、長らく戻りの井戸が見つからず、井戸に入るのは、帰れなくなるから要注意とされていたのですが、近年、戻りの井戸も発見されて、「黄泉がえりの井戸」と名付けられたそうです。

茅ヶ崎南湖にも、六道の辻 というところがあります。鉄砲道の南湖中央の信号から東に進み、二つ目の左折路を入ったところです。(後述しますが、この左折路は、高田畊安が、駅から南湖院へ通う道として作ったものです。)調べてみたところ、もともとこの辻は、八雲神社から東へ延びる旧鉄砲道と、南湖の船着場から北に進み、東海道へ出る道の交わったところで、四つ辻でした。そこへ畊安が新たな道を、第1象限と第3象限に斜めに貫くようにつくり、現在のような六叉路となり、後年、六道の辻とよばれるようになったとのことです。

現在六道の辻は、道幅は拡張されることなく、信号もない状態で、昔のままに残っています。昭和40年代に現在の鉄砲道ができてからは、完全に生活道となりましが、鉄砲道が出来る前の地図を眺めますと、明らかにこの辻は南湖の中心地で、さながらマルシェ(市場)のようでありました。伊藤里之介が佐々木卯之助の追悼碑を最初にここに置いたのも頷けます。さらにこの辻の近くで、山田耕筰が「晴朗な湘南茅ヶ崎の大気」として、昭和の初めの6年間過ごし、「赤とんぼ」を作曲したりしました。ここは、昔のものがそのままである ということを”売り”にしてよいところだと思います。

閻魔さまと時談放談夏の酒

茅ヶ崎の別荘図
「茅ヶ崎市史研究 2007年3月 茅ヶ崎の別荘図」より
赤とんぼの立て札