俳句的生活(77)-柳島閘門ー

関東大震災で、最も大きな影響を受けた茅ヶ崎の河川は、松尾川でした。古い写真や絵図をみますと、川幅は広く、舟が自由に行き来するほどのものでした。そこに架けられた柳橋という橋は、幅は2尺(60cm)ながら、長さは20間(36m)という、大型のものでした。ところが今や、浜見平団地を囲っている半暗渠の、昔日の面影を全く失ったものに変貌してしまいました。その原因というのは、松尾川は相模川が繰り返し起こした氾濫により出来たデルタ地帯の川で、川底が浅かったことによります。

もともと川底の浅い松尾川でしたが、関東大震災で柳島一帯が1.4m隆起した結果、川幅は細り、相模川が増水した時の逆流に悩まされるようになりました。そこで昭和2年、閘門(こうもん)とよばれる水路を塞ぐ施設が作られました。通常は扉を開いて水を流し、逆流が起きたときに閉じて、水害を防ぐという施設でした。松尾川は、松尾から浜見平を通り、現在の柳島通りを越えて、小出川と合流する川ですが、柳島通りを越えたところに閘門は作られました。昭和50年になって同地にポンプ場が作られて、役目を終了しました。ポンプ場はフェンスでがっしりと囲われていて、案内板や記念碑は、外から見るだけのものになっています。

右手(めて)に竿(かん)左手(ゆんで)に櫂(かい)や春の川

柳島閘門
「柳島いま・むかし」より 柳島閘門
閘門の説明板
「柳島いま・むかし」より 柳島閘門
昔の松尾川
「柳島いま・むかし」より 明治40年ころの松尾川
松尾川
茅ヶ崎市立図書館郷土資料デジタルライブラリーより引用
(茅ヶ崎名所)松尾川ノ清流