俳句的生活(61)-ルドルフ・ラチエンー

昭和38年の明細地図で、驚いたこと、嬉しかったことがあります。それは、ラチエン通りに、アサオ・ラチエンという名での大きな敷地を見つけたことです。ルドルフ・ラチエンの大邸宅は、戦後すぐにGHQによって接収され、ルドルフは昭和22年に、不遇のうちに亡くなりましたが、占領が終了した昭和27年、彼の邸宅はルドルフ夫人に返還されたのでした。夫人の名前はアサオといい、漢字では朝於と書きます。ルドルフは大の親日家で、和食・和服を好み、夫人も日本人を選んでいたのです。夫人は昭和60年まで生き、95歳の長寿を全うしました。

ハノーバー生まれのドイツ人ルドルフ・ラチエンが来日したのは、明治35年(1902年)、商社員としてでした。やがて輸入商として独立し、ベンツなどの自動車やライカ写真機といったドイツ製品を扱い、財をなしました。更に、レコード・蓄音機にも進出し、ポリドール・レコードの代表もつとめました。

彼の名前が通りの名前となっていったのは、別荘の前の道の両側に、若松町から湘南遊歩道まで桜を植えたりするなど、地元に細やかな心遣いを寄せたことによります。流行に左右されることなく、越前通りとともに、ラチエン通りの名称は今後とも消えることはないでしょう。

ハノーバーに桜通りを夢みつつ

ルドルフ・ラチエン
ルドルフ・ラチエン(茅ヶ崎市史ブックレット11より)
茅ヶ崎市刊「茅ヶ崎を彩った70人」より
ラチエン夫妻
ラチエン夫妻
ラチエンの別荘
ラチエンの別荘本館