俳句的生活(1)-馬入の渡しー

筆者の自宅から西へ1km進んだ処に、平塚との市境となる相模川が流れていて、両岸の土手は、自転車が通れるように整備されています。この川は、江戸時代には幕府の政策により橋は架けられてなく、庶民の行き来は渡船によるものでした。下流から上流まで、全部で60余の渡しがあったそうで、その中で一番重要なのは、東海道をつなぐ馬入の渡しでした。

現在、馬入の渡しは、馬入橋の上流200m、平塚側の土手に説明の立て板と石碑が置かれています。。実際の渡し場の跡は、度重なる洪水によって消失してしまったのでしょう。そのような事情から、馬入の渡しのことを知ろうとすると、文献に頼らざるを得ないのが現実です。

少し調べただけですが、渡船料金は10文であったとのこと。1両の現在価値を10万円とすると、およそ250円ということになります。橋の恩恵を受けている現代人には、やや高いという感覚があるが、当時としては妥当なものだったのでしょう。それから、幕末に将軍家茂が上洛するときとか、明治になって天皇や公家たちが東京へ引っ越すときは、渡船ではなく、船橋を作り渡河したとの記録が残っています。当然、江戸総攻撃をする西郷軍の渡河も、船橋をかけたと思われますが、もし幕府側に戦う意思があったならば、それこそ、危ない橋を渡ったものだと思ってしまいます。。

春や昔十文銭の渡しかな 游々子

馬入渡し跡の石碑
馬入の渡し跡の説明の看板
説明立て札

本ブログ「俳句的生活」の内容の転載は自由です。