2024年3月18日 / 最終更新日時 : 2024年3月18日 管理者 俳句的生活 俳句的生活(272)-平塚(8)相模国府ー 古代史において長年論争のテーマであったものが、新しく遺跡が発掘されたことによって、大きく進展することがマゝ起こります。その最大のものは邪馬台国の場所を特定するもので、奈良県桜井市の纏向遺跡において、C14という放射性炭素 […]
2024年3月7日 / 最終更新日時 : 2024年3月7日 管理者 俳句的生活 俳句的生活(271)-平塚(7)中原街道ー 前稿で、道路標識での中原街道の行き先が、平塚でなく茅ヶ崎になっていることを紹介しましたが、多少補足をしておきたいと思います。 虎ノ門を起点とする中原街道は、多摩川を越えて神奈川県に入った所より、名称が県道45号線となり、 […]
2024年3月6日 / 最終更新日時 : 2024年3月7日 管理者 俳句的生活 俳句的生活(270)-平塚(6)中原御殿ー 私が大学を卒業して就職した所は、南武線武蔵中原の駅前にあるコンピューターを製作する会社の工場だったのですが、当時の私は、武蔵中原という地名は昔の武蔵野に由来し、傍らの中原街道という道も、武蔵中原に依ったものと思っていまし […]
2024年3月4日 / 最終更新日時 : 2024年3月4日 管理者 添削 添削(56)-あすなろ会(12)令和6年2月ー 裾花さん 原句 貝寄風や小貝にまじり小石飛ぶ 貝寄風(かいよせ)とは、大阪四天王寺の聖霊会(旧暦二月二十二日)のころに吹く季節風のことです。四天王寺の聖霊会では、供華の筒花を住吉の浜に吹き寄せられた貝殻で作ることから、こ […]
2024年2月23日 / 最終更新日時 : 2024年3月4日 管理者 俳句的生活 俳句的生活(269)-平塚(5)平塚宿(2)旅籠ー 平塚宿の名前が初めて文書に現れるのは、鎌倉時代の後期、亀山天皇の皇子で仁和寺の門跡となっていた益性法親王という人が、鎌倉から京都に戻るときに、自分のための雑役を務めていた下法師を、「平塚宿」で返した、と手紙に記述したもの […]