蜩の鳴きつづきをり光堂 (2020.9.27 神奈川新聞次点入選)

(評)奥州平泉の中尊寺光堂であろう。「蜩」が斜めの日差しを感じさせるこの句は、「五月雨を降り残してや光堂 芭蕉」よりも陰影の深い姿を思わせる。栄枯の時の流れをより深く感じるのである。(松尾隆信)
旅順とは同じ緯度なり棗の実 (2020.12.12 読売入選)

旅順開城約成りて で始まる佐々木信綱作詞の「水師営の会見」は、その2番で、庭に一本棗の木 と歌われ、旅順の棗は一躍有名となった。棗は挿し木で簡単に増やせるので、日露戦後、乃木にゆかりある地への移植が行われた。筆者の生まれ育った町は、乃木が初代師団長となった師団の司令部が置かれたところで、当然ながら旅順から棗が移植されている。左の写真は大きく育った旅順からの棗の木である。旅順と緯度を同じくする東北の都市では、茶器としての棗が特産品として作られている。これも不思議な縁のひとつである。
二人とは芋を掘る人蒸かす人 (2020.11.28 読売入選)
家庭の懐かしさとは、一人が芋を掘りそれを家に持って帰ると、もう一人の人がそれを待っていて、蒸かしてくれる、そうした関係性のある家であろう。筆者の家庭はそういう処であった。
何かやり残しありけり秋の浜 (2020.11.21 読売入選)
茅ヶ崎の秋の浜には流木が多く打ち上げられてをり、過ぎ去った夏の不完全燃焼の残骸のように見えてくる。渚を裸足で歩いても、梅雨時の浜のように、足底にしっとりとした大きな地球があることが感じられない。何となく不安定なのだ。これは、季節のせいなのか、歳をとったせいなのか、どちらであろうか。
吊し柿吉祥天のおはす寺 (2019.12.7 読売入選)

この句は、京都と奈良の県境(京都側)にある浄瑠璃寺を詠んだものである。この寺のことは、高校のときに堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んで以来ずっと気になっていた。堀は春に妻と訪れていて、馬酔木が可憐に描かれている。筆者もこの寺には家内を伴って訪れた。私たちの場合は、春と秋の二回であり、この句は秋のときのものである。幸運にも吉祥天がご開帳されていて、遠くからではあったが、平安美人のお姿を拝むことができた。柿は門を入って直ぐの受付の小屋の廂に吊るされていた。この土地らしい長閑な光景であった。
国境のなき大空や鳥渡る (2021.11.6 読売入選)
地上では、いつまで経っても紛争が止まず、アフガンや中東では難民が溢れています。鳥たちは、寒くなれば南に渡り、暖かくなれば北に帰っていきます。国境も偏見もなく、精一杯自由に生きています。鳥の方が人よりも、法(のり)の恵みを受けているのではないかと思います。
一湾の白き航跡鰯船 (2021.12.4 読売入選)
茅ヶ崎の主な水産物はシラスです。一艘の船による曳網漁法で、水揚げすると洗浄したあと、直ぐに氷で冷却し、鮮度を保つために 船はエンジンを全開し、航跡を作って漁港に戻ります。本句はそれを詠んだものです。句では、シラスを鰯に変えてみました。
身にしむや畠じまいの鍬と鋤 (2022.10.23 神奈川新聞入選)

長年続けてきた畑も、今期で止めることにしました。来年より春~秋の間、信州に半移住することにしたため、夏のメンテが不可能になったことが直接の理由ですが、終活の一つの様な気持ちになり、寂しさはぬぐえません。
トロ箱のミニ水田や今年米 (2022.11.13 神奈川新聞入選)

トロ箱とは魚を入れるポリエステルの箱です。家内が元気であったときは、私は2ヵ所で15坪ずつの畑をやっていました。そのうちの一つは5kmも家から距離があるところで、農具が置かれていて井戸もある、便利な環境のところでした。そこで隣の区画の人が、トロ箱で稲を栽培していたことを思い出し、その畑は今どうなっているであろうかと、追想して作った句です。
掌は甲より若し種子を採る (2022.11.27 神奈川新聞入選)

歳を取ってくると、手に湿気が失われるのか、スーパーのレジ袋を簡単に開けなくなってしまいました。それでも掌は甲と比べれば、見た感じは未だ老化が進んでいないようにも見えます。小さな花の種は、そうした掌に乗せて採種します。
小春日やポンと弾けるコルク栓 (2022.12.18 神奈川新聞入選)
家内が健在であったころ、我家ではよく知人を招いてのホームパーティを、ベランダを使って催していました。お決まりのシャンペンは、室内で栓を切ると泡が噴出すのですが、ベランダではその心配なく、大らかに栓を切ったものです。
七里ガ浜見ゆる高きに登りけり (2024.11.2 読売新聞入選)
旧暦9月9日は重陽の節句で、菊の酒で長寿を願う風習があるのですが、生憎この時期に食用の菊がスーパーに出ていなく、高い処に登るのも長寿を願うしきたりになっている(なっていた?)ことを知り、七里が浜を見に自転車を走らせたことを思いだしてこの句を作りました。七里が浜は藤沢の小動岬と鎌倉の稲村ケ崎の両方から見ることが出来ました。

七里が浜は何といっても稲村ケ崎とセットで、新田義貞と切り離しては語ることが出来ません(こちらより)

暮れ泥む関東平野大根蒔く (2024.12.14 読売新聞入選)
今はやめていますが、富士山が見える処で畑をやっていたことがあり、この句は夕方に種を蒔いたときのもので、ミレーの晩鐘をイメージして上五を創りました。
