大漁旗靡く小磯の帰り花 (2019.12.7 読売入選)

大漁旗

この句は、私の家内のものである。家内の実家は親潮と黒潮がぶつかるところの漁港に近く、ある年の正月、皆でその漁港に車を走らせ、正月の様子を見物に行った。折しも、多数の漁船が大漁旗を掲げ、湾内をデモンストレーションしているのに遭遇した。その思い出を詠んだ句である。この句は、図らずも、私の秋の浄瑠璃寺を詠んだ句と、読売で同時入賞となった。こういうこともあるのかと、感慨は大である。

通し矢の空を切り裂く寒九かな (2018.4.7 読売入選)

三十三間堂

京都三十三間堂では、成人式の日に、その年成人を迎えた女性による通し矢の儀式が行われている。丁度この時期が、寒に入っての九日目となることが多く、この句を作った。茅ヶ崎での句会に出したところ、師匠からは、般若心経の空と色で以て、この句の空を解説してくださった。筆者はそれに悪乗りして、アインシュタインの E=mccの式を持ち出して、エネルギーと物質の関係の蘊蓄を語ってしまった。そんな経緯のある句である。

腑に落つる氷柱のオンザロックかな (2016.2.28 神奈川新聞入選)

寒冷地では、屋根に積もった雪が夜、室内の暖房の熱で溶かされ、朝になってみると、お化けのように巨大な氷柱が、軒に隙間なく垂れさがる。句意は、その氷柱をかち割ってウイスキーのオンザロックで頂くというものであるが、天然の味で、五臓六腑に沁み入るのである。

砲弾のごと白菜の並びをり (2020.2.1 読売入選)

筆者は15坪ほどの家庭菜園を営んでいる。茅ヶ崎での冬の野菜の定番は、大根と葱に白菜である。白菜はある程度の大きさになると、周囲を麦わらで縛り、全体が崩れないようにするのであるが、その形がいかにも砲弾と似ていて、この句を作った。

風花や牛の鼻面濡らしをり (2020.3.7 読売入選)

風花とは、山に積もった雪が、強い風に吹かれて、麓に舞い降りてきたものをいう。それが牛の鼻面を濡らすというものであるが、今では町で牛を見ることもなく、江戸時代的な想像句である。俳句では、このような季語もまだ残っており、それが俳句の魅力の一つであるともいえる。

億年の寒空を切る火球かな (2021.1.16 読売佳作入選)

はやぶさ2

(評)昨年は各地から火球の目撃情報が寄せられた。火球は小惑星のかけらなどが大気圏に突入して光る流れ星の中でも、特に明るく光る現象で、46億年前、太陽系ができたときに惑星になりきれなかった岩石だと言われている。(能村研三)

月天心素振る竹刀の切先に (2021.2.13 読売佳作入選)

(評)夜が更けて天の真上にかかっている月の光を浴びながら、剣道の素振りの稽古が続いた。素振りは剣道でも大事な練習で、時折竹刀の切先が煌々とした月に触れんばかりであった。(能村研三)

この句は、高校時代の夜の勉強を回想して創った句です。毎晩4時間勉強することを日課としていて、前半の2時間を理系、後半の2時間を文系の科目に当てていました。その切り替えのとき、気分転換のために裏庭で竹刀を振っていたのですが、9時過ぎともなると月が煌々と高く上がり、その月を見据えて竹刀を振ったものです。

野うさぎの足跡果てず雪の原 (2021.2.20 読売入選)

筆者は今でこそ足を悪くし、歩くのも杖を必要とする身になってしまったが、かってはトレッキングを趣味としていた。冬場、ロープウエイで山に登り、スノーシューを履いてトレッキングするのであるが、新雪の上には、野うさぎの足跡がどこまでも続いていて、有限の世界に無限を感じさせるほどのものであった。

シクラメンまとふ光も春隣 (2021.4.3 読売入選)

筆者の家は、リビングが二重窓になっていて、ガラスとガラスの隙間には、冬であればシクラメンの鉢を置いている。二月ともなると、そのシクラメンに光が差し込むほどになり、いかにも光を纏っているように輝くのである。

蒼天が好き大鷹の舞ふ大樹 (2022.1.29 読売入選)

俳句的生活(143)にあるように、本句は、大磯の鴫立庵に、十八世芳如の句碑を見に行ったときのものです。実際に上空を舞っていたのは鳶でしたが、冬の季語である鷹に替えて作句しました。当日は快晴で、ゆったりと舞っている鳶も、蒼天を楽しんでいるように思えました。

溜め置きし言葉を贈る聖夜かな (2022.2.5 読売秀逸入選)

(評)1年の感謝や想いを溜め置いているのである。一言で言い表せないものの「ありがとう」の言葉に集約されるものであろう。聖夜を迎え、1年分の感謝の言葉を贈るお相手は、はたして誰なのであろうか。(上田日差子)

畠の棹にひとつ干さるる手套かな (2022.2.6 神奈川新聞入選)

私は、15坪ほどの畑を借りて耕作しています。毎日のように来ている人がいて、その人は、畑に突き刺した支柱の先に、長靴やビニールの手袋を、逆さにして引っ掛けています。主が居なくても、手袋が掛けられているだけで、その人がいるような、そんな気持ちにさせる手袋です。


木道に風が風呼ぶ枯野かな (2023.1.28 読売新聞佳作入選)

(評)木道の風景というと、尾瀬の湿原の景が浮かぶが、木道は植生保護などの目的で、湿原地帯などに敷設されている木製の歩道。あたり一面蕭条とした枯野から冷たい風が吹いてくる。(能村研三)

尾瀬


冬木の芽供へる水の柔らかき  (2023.2.4 読売新聞入選)

早いもので、家内が逝ってから3年余りが経ちました。仮祭壇は未だにリビングに置いたままになっています。冬木の芽が膨らんでくると、祭壇に供える水も柔らかくなった感じがして来ます。

 
神木に礼し一人の寒稽古  (2024.2.3 読売新聞入選) 

牡蠣の浦育てる山を守り継ぎ  (2024.3.2 読売新聞入選)