連句(31)

連句(31)『初鴨の巻』 
令和7年10月1日(水)〜10月4日(日)
連衆  紀子  二宮  典子  游々子

(発句)    初鴨来これより淡海にぎやかに        紀子

(脇句)    長旅疲れ波に忘れて             二宮

(第三句)   稲穂風棚田の里に流れきて          典子

(第四句)   よちよち歩く雀の子らは           游々子

(第五句)   一茶訪ふ讃岐の旅の明易し          紀子

(第六句)   瀬戸内アート巡る夏の日           典子

(第七句)   雲の影ゆったり東へ燧灘           二宮

(第八句)   鬼の山へは生野を越えて           游々子

(第九句)   銀山を舞台に愛の物語            紀子

(第十句)   理想の彼はカモカのおっちゃん        典子

(第十一句)  なりわいは人間を診て一言する        二宮

(第十二句)  船場商家の始末節約             紀子

(第十三句)  静寂の中の参道冬の月            典子

(第十四句)  親の恩まず思い連なる            二宮

(第十五句)  同人の歌集に母の祖母の歌          游々子

(第十六句)  三十一文字は愛に溢れて           典子

(第十七句)  日本の桜ベルリンの壁跡に          紀子

(第十八句)  ドイツフランス英語出来ず          二宮

(第十九句)  宰相に向かふ維新の旅の春          游々子

(第二十句)  断髪洋装江戸は遠くへ            典子

(第二十一句) ばけばけのにこっと笑ふ池の端        游々子

(第二十二句) 下駄音カラリ暗闇深し            二宮

(第二十三句) 青天に祭太鼓の響きをり           典子

(第二十四句) どんどこ船に文楽人形            紀子

(第二十五句) 父母尋ね阿波淡路行く鳴門道         二宮

(第二十六句) 通し打ちして巡る御詠歌           游々子

(第二十七句) 古民家のカフェで一人のティータイム     典子

(第二十八句) ならまちを歩しタイムスリップ        紀子

(第二十九句) 棧をこえて姥山月の里            游々子

(第三十句)  谷深くして葉風落ちくる           二宮

(第三十一句) 水澄める吉野源流訪ね行く          紀子

(第三十二句) 早明浦ダムは讃岐の命            游々子

(第三十三句) 村里の夕暮時の窓明り            典子

(第三十四句) 酒肴下げ宴の席へ              紀子

(第三十五句) 年々に名所のさくら巡る夢          二宮

(挙句)    君も実の花我も実の花            游々子

(発句)    初鴨来これより淡海にぎやかに        紀子

淡海は旧仮名で「あふみ」と表記され、発音は「おうみ」で、主に琵琶湖を指す古語です。「鴨」は元々は冬の季語ですが、それに初のついた「初鴨」は秋の季語になっています。そんな琵琶湖にも鴨が沢山飛来してくる秋になったよ、と詠んでいます。発句で詠まれる秋の季語も段々と深まって来ました。

(脇句)    長旅疲れ波に忘れて             二

鴨のようなある程度大きな鳥は、日本海に着水することなく、一気に大陸から日本に飛んで来ています。自然界の不思議の一つです。

(第三句)   稲穂風棚田の里に流れきて          典子

どういう訳か、棚田は日本海にむいて段々になっているのが多いようです。そんな棚田も耕作放棄されるのが増えてきましたが、北陸の新幹線が延伸され、関東から棚子になって応援に行くのが容易になって来ました。

(第四句)   よちよち歩く雀の子らは           游々子

刈り取られた稲田には、雀たちが稲の落穂を拾って歩いています。その歩き方で幼鳥か成鳥かが分かります。

(第五句)   一茶訪ふ讃岐の旅の明易し          紀子

「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」という句で一茶が連想されています。一茶も蕪村と同じように讃岐に何年か逗留しています。

(第六句)   瀬戸内アート巡る夏の日           典子

一茶は西讃の観音寺というところに逗留していました。近くの小山にある琴弾(ことひき)公園からは、海浜に作られた寛永通宝の巨大な砂絵が眺められます。

(第七句)   雲の影ゆったり東へ燧灘           二宮

讃岐が瀬戸内海に面する海は、西より燧(ひうち)灘、備讃瀬戸、播磨灘となっていますが、観音寺の海岸が面しているのは燧灘です。

(第八句)   鬼の山へは生野を越えて           游々子

播磨の国の奥の丹後、鬼の伝説のある大江山は、和泉式部の娘の小式部内侍が「大江山いく野(生野)の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」と詠んだことで有名になっています。ただ、大江山には天の橋立のある宮津の大江山と、福知山の大江山(大枝山)の二つがあって、母親である和泉式部は受領であった夫の任地の宮津に居たのですが、娘の小式部内侍の詠んだ大江山(大枝山)は福知山の山であるとされています。

(第九句)   銀山を舞台に愛の物語            紀子

この銀山は兵庫県朝来市の生野銀山を指しています。小式部内侍の歌の生野は京都府福知山市の生野です。

(第十句)   理想の彼はカモカのおっちゃん        典子

前句と本句は恋の座の句です。”カモカのおっちゃん” とは作家の田辺聖子の随筆・小説に登場する田辺の夫です。

(第十一句)  なりわいは人間を診て一言する        二宮

カモカのおっちゃんの職業は医者で、人を診察して一言物申すのがなりわいであると本句は詠んでいます。

(第十二句)  船場商家の始末節約             紀子

田辺聖子の『姥ざかり』は、船場商家に嫁いだ76歳の女性が一人奮闘する小説となっています。

(第十三句)  静寂の中の参道冬の月            典子

一昨日は仲秋の名月でしたが、昨今は旧暦八月十五日ではまだ夏の空気が残っていて、これからは冬の月のほうが、澄んだ夜空に清い月になっていくのかも知れません。

(第十四句)  親の恩まず思い連なる            二宮

句意は、思い連なるのは先ず親の恩 というものです。

(第十五句)  同人の歌集に母の祖母の歌          游々子

母の遺品の歌集に、戦後の何もない子育てに忙しい時に祖母に充分なことが出来なかった、と祖母を述懐している歌が載っていました。

(第十六句)  三十一文字は愛に溢れて           典子

そういう内容のものは俳句ではなく短歌が適しています。

(第十七句)  日本の桜ベルリンの壁跡に          紀子

ベルリンの壁が崩壊したとき、日本からは桜の苗木1万本が贈られ、そのうち千本が壁の跡地に植樹され、今では1kmにおよぶ桜並木となっています。

(第十八句)  ドイツフランス英語出来ず          二宮

本句は作者のご謙遜です。

(第十九句)  宰相に向かふ維新の旅の春          游々子

明治4年11月に横浜を出港した岩倉訪欧使節団は、アメリカに8か月イギリスに4か月滞在した後、明治6年3月にドイツに向い、鉄血宰相とうたわれたビスマルクに教えを乞うています。

(第二十句)  断髪洋装江戸は遠くへ            典子

この旅の途中、岩倉は断髪し洋装にかえて文明開化にむけて国のかじ取りをすることを決意し、帰国後は明治天皇にも断髪を進言しています。

(第二十一句) ばけばけのにこっと笑ふ池の端        游々子

NHK朝ドラの「ばけばけ」では、主人公の家では明治20年になってもまだ髷を結った江戸時代さながらの武士の姿をした父親と祖父が登場しています。その為に娘の縁談が首尾よくいかなかったとか。

(第二十二句) 下駄音カラリ暗闇深し            二宮

お化けが出てくるような暗闇では、下駄のカラリとした音でもドキッとするものです。

(第二十三句) 青天に祭太鼓の響きをり           典子

お化けの世界から元気な祭りへと場面転換しました。

(第二十四句) どんどこ船に文楽人形            紀子

大阪の天神祭では道頓堀川に手漕ぎのどんどこ船が繰り出されます。また、本宮には戎橋から文楽人形や技芸員が乗船している「文楽船」というものが出港することになっています。

(第二十五句) 父母尋ね阿波淡路行く鳴門道         二宮

明石大橋・鳴門大橋が出来たことで、関西から高知の父母を訪れることが飛躍的に便利になりました。

(第二十六句) 通し打ちして巡る御詠歌           游々子

“通し打ち” とは四国八十八の札所を一回で廻り切ること。各札所には仏の恵みを感謝して詠まれた御詠歌というものがあり、それを見て廻るのも楽しみのひとつです。

(第二十七句) 古民家のカフェで一人のティータイム     典子

お遍路の途中、古民家カフェーで珈琲をいただく時間はほっとするものです。

(第二十八句) ならまちを歩しタイムスリップ        紀子

奈良は古い都、芭蕉の「菊の香や奈良には古き仏たち」の句が浮かびます。

(第二十九句) 棧をこえて姥山月の里            游々子

芭蕉の更科紀行をなぞった句です。

(第三十句)  谷深くして葉風落ちくる           二宮

更科紀行は木曽路を歩く旅です。島崎藤村は『夜明け前』の冒頭で、木曾路はすべて山の中である と表現しています。木曽川に沿って出来た道です。

(第三十一句) 水澄める吉野源流訪ね行く          紀子

木曽川に代わり本句は、四国三郎と名がつく三大暴れ川のひとつ、吉野川を詠んでいます。

(第三十二句) 早明浦ダムは讃岐の命            游々子

讃岐は雨が少なく、度々干ばつの被害を受けてきました。吉野川の上流に早明浦(さめうら)ダムが造られ、その水を讃岐山脈にトンネルを掘って引いてくることが出来るようになって、だいぶん緩和されてきました。

(第三十三句) 村里の夕暮時の窓明り            典子

山里の住居の窓明かり、蕪村の 大河を前に家ニ軒 という灯りのもれる情景を詠んだ句が連想されます。

(第三十四句) 酒肴下げ宴の席へ              紀子

その窓明かりというのは近所の人たちが集まった、村ならではの宴の灯りでしょうか。

(第三十五句) 年々に名所のさくら巡る夢          二宮

年を重ねると実際に旅行するのが難しくなって、花見をするのも夢の中で、という句です。

(挙句)    君も実の花我も実の花            游々子

年をとっても晩成するということがあります。花は実となっていても花は花です、君にも我にも。

連句の最終日に行われた自民党総裁選挙で、思ってもみない逆転劇が行われました。次回の連句では現代俳句的な世相を詠む句が出現するかも知れませんが、それはそれで良しとしたいと思います。多彩な絵巻を詠み、ハッピーエンドを目指す我々の連句、今回の出来はどうでしょうか?

コメント by 游々子