俳句的生活(310)-連句(4)-

四回目の連句を実施しました。今回留意したことは、脇を発句と同じ場所、同じ時刻のものとし、脇が発句を補完する関係にすることでした。つまり最初の二句だけは、これでもって短歌となるようにすることでした。また花の座の花は俳句での花と同じように、桜となるようにしました。

連句の会(4) 月日 :令和6年12月12日(木)~15日(土)
連衆:典子、二宮、紀子、游々子

(発句)   冬晴や雲より出づる富士の山     典子
(脇)    遠く伊豆より眺めし記憶       二宮
(第三句)  早暁を発ち始発機に乗り継いで    紀子
(第四句)  画面の伝ふ隣国の憂         游々子
(第五句)  木枯らしに月の光の薄寒し      二宮
(第六句)  落ちては戻す手の砂時計       紀子
(第七句)  飛び込むに遠し令和の天の川     游々子
(第八句)  乳飲児の指そつと撫でをり      典子
(第九句)  オーロラの国より届く授賞式     紀子
(第十句)  裂けたる墓石残すお寺よ       游々子
(第十一句) 教会のパイプオルガン音深し     典子
(第十二句) 報いは知らずただただ祈る      二宮
(第十三句) 竹林を踊る影あり夏の月       游々子
(第十四句) 閉門前の風鈴祭           典子
(第十五句) 渦潮の鳴門の潮の響く声       二宮
(第十六句) 神話の島に架けし吊橋        紀子
(第十七句) 碧空の河津桜の並木道        典子
(第十八句) 天城峠の踊り子悲し         二宮
(第十九句) 春灯下雪国も読み古都も読み     紀子
(第二十句) 八紘一宇市ヶ谷に散る        游々子
(第二十一句)エルムなる左京の喫茶で記憶する   二宮
(第二十二句)訪日客に列車込み合ふ        紀子
(第二十三句)湯けむりに英語飛びかふスキー宿   游々子
(第二十四句)学生たちはおでんをつつく      典子 
(第二十五句)車座の俳句談義の夜の明けて     紀子
(第二十六句)北白川の姉さんかぶり        游々子
(第二十七句)藍色の久留米絣の鞄買ふ       典子
(第二十八句)古本売って名のみ学生        二宮
(第二十九句)巨椋池越へゆく月の舟宇治へ          游々子
(第三十句) 紫式部の実こぼれをり        典子
(第三十一句)湖西吹くメタセコイア散らす風    二宮
(第三十二句)横川へ上る九十九折にも       紀子
(第三十三句)晴天の高野詣の三姉妹        典子
(第三十四句)左右競いてひな飾りしを       二宮
(第三十五句)磴一歩一宇の空の花朧        紀子
(挙句)   八坂の社篝火もえて         游々子

連句には全くの素人の四人ですが、四作目としてかなり上向いてきたのかなと自負しています。

この歌仙の中でインパクトが強かったのは、哲学的で深みのある(第三十五句)でした。以下に私なりの “解釈” を述べてみることにします。

先ず上五の先頭の「磴」 (とう)ですが、この言葉は、岩を削って作った階段や坂道、または登るための石段を指していて、物理的な登り坂や険しい道を象徴しています。これが、「一歩一歩進む」という意味合いを強調しています。次の「一歩一宇」ですが、直訳すると「一歩ごとに一つの宇宙(または世界)」という意味で、歩みを進めるごとに新たな世界が広がる、あるいは一歩一歩が新たな発見や経験を意味しているということです。哲学的な意味合いを込めて、道のりを歩むことで異なる景色や思索が生まれ、ひとつの歩みがひとつの宇宙を作り上げると詠んでいるのです。ここまでが「空の花朧」と相俟って、更に幻想的なイメージを創り出しています。歩みの先に広がる空間が、現実と夢の境界を曖昧にし、薄曇りや霞の中で一種の神秘的な美しさを感じさせているのです。

このような哲学的で詩的な句に付ける挙句を私が読む順番になっていたのは幸運でした。「磴」 から私が連想したのは、八坂神社の入口の石段でした。そして虚子が円山公園で花篝の句を詠んでいることがあった(こちらより)のを思い出して、篝火という言葉を付けてみました。

とにかく充実した楽しい連句でした。