添削(79)-あすなろ会(39)令和8年7月ー
美愉さん
原句 沖縄忌少女の詩よ波静か
本句は、沖縄忌の追悼集会で少女が平和への祈りを込めた詩を朗読している場面を詠んだものだと理解しますが、”少女の詩よ” だけでは、少女が詩を朗読している場面が伝わりにくく、よしんば伝わったとしても弱いです。「や」にしても同じことです。ここははっきりと、「少女が切々と平和を訴える朗読」であることが分かるようにした方が良いでしょう。
参考例 少女の詩の波間に響く沖縄忌
原句 五月闇ドラマのような現実か
本句は中句下句が、季語「五月闇」の闇を説明した造りになっています。ドラマチックな現実を、何か具体例で表現し、それにさりげなく「五月闇」を添えると俳句的になります。五月闇を人間の業として、時事俳句でこの季題に沿うようにしてみました。
参考例 海峡に走る閃光五月闇
原句 星占い一喜一憂夏の朝
本句は夏の朝であることを「夏の朝」と直接表現していますが、これは損な表現形態です。夏の朝を別の言い方で表現することによって、よりイメージを膨らませることが出来ます。星占いは星占(ほしうら)と短縮することが出来ます。
参考例 朝凉や市の星占吉と凶
紫苑さん
原句 蛍の夜読経聞こゆる山の寺
本句は、蛍・読経・山の寺という三つの素材を詠んでいますが、それを並べただけになっていて、切り込みが不足しています。その原因は、「聞こえる」という人間の知覚の動詞を挿入していることによります。俳句は人間が見て、聞いて、感じて詠むものであり、それらの動詞を句に入れることは無意味なことであり、字数が足りなくなって切り込みが不足することになるのです。
参考例 山寺の読経蛍のふぶく中
原句 祭笛祖母に手引かれ田圃道
祖母に手を引かれて祭を見に行った時の懐旧句です。田圃道は不要で、笛の音が段々と遠くなっていくことを入れた方が良いでしょう。
参考例 祖母に手を引かれ祭の笛遠く
原句 山野辺の青田や村の道祖神
本句も素材を並べただけに終っています。「村」は山野辺と重複しています。更に「山野辺」は山辺と短縮できますので、それらの字数を使って、何らかの余情をだすことを目指すべきです。
参考例 青田風笑みる山辺の道祖神
桜子さん
原句 夏山や雲を踏みつつ縦走路
本句は下句の「縦走路」が夏山の一部であるため、上句の「夏山や」と相容れなくなっています。中句が「つつ」で終わっている為、下句は何かをしているものでなくてはなりません。
参考例 夏山や雲を踏みつつハイキング
原句 川の字にいとこ同士の昼寝かな
中句の “同士” という表現が硬く重いです。
参考例 川の字を作る従妹の昼寝かな
原句 ターミナル無口な人波炎暑かな
三段切れになっていてリズムが悪いです。炎暑の傍題である「炎熱」を上句に据えて「や」で詠嘆すると、リズムが改善されます。
参考例 炎熱や駅は無口の人の波
冬翠さん
原句 蟻の列葬送のごと揚羽曳く
本句は「てにをは」を付けると、蟻の列が葬送のごとく揚羽を曳いている と一つの散文となる構成になり、説明感がぬぐえません。その主原因は「曳く」という状況説明の動詞にあります。「葬送」や「列」で蟻が揚羽を曳いていることは分かるので、「曳く」は省略した方が韻文的になります。
参考例 葬送のごとく揚羽と蟻の列
原句 いざ出陣極暑の街へ大きく歩
本句は下句の「大きく歩」が詰まった表現になっています。本句の良さは酷暑の中に一歩を踏み出すのを「いざ出陣」と大袈裟に表現したことろにあるので、それを強調するには下句に置いた方が良いでしょう。
参考例 息をはき極暑の街へいざ出陣
原句 予報図に並ぶお日さま梅雨明けり
本句は語順を替えた方が、梅雨が明けて予報図にお日さま印が並ぶようになったことを、躍動感をもって表現できるでしょう。本句の語順では、予報図にお日さま印が並ぶようになったのは梅雨が明けたからだなあ~と読めてしまいますので。
参考例 梅雨明くやお日さま並ぶ予報図に
とも子さん
原句 声交わし鴉群れとぶ梅雨晴間
本句は「声交わし」と「とぶ」が離れたところに置かれているので、やや緩んだ感じになっています。一つにまとめた方が締った句になるでしょう。
参考例 鴉群れ声交わしとぶ梅雨晴間
原句 ぷらぷらと兄の草笛帰り来ぬ
本句は「兄の草笛」を強調するために上句に置いた方が良いでしょう。
参考例 兄の草笛ぷらぷらと帰り来ぬ
原句 澄み渡る山気に滝の音滲む
本句は「滝の音滲む」と「山気の澄み渡る」を同列において表現するのが良いでしょう。原句は中句の中の助詞「に」によって、説明っぽくなっているのです。
参考例 滝の音滲む山気の澄み渡る
弘介さん
原句 竿竹屋ダミ声張り上ぐ梅雨最中
中句が4+4の8音でリズムが悪いです。
参考例 竿竹屋声を張り上ぐ梅雨最中
原句 吊り蚊帳の秘密基地なり合宿所
本句は、合宿所の大きな吊り蚊帳の中に子どもたちが入り、「まるで秘密基地だ」と感じた楽しさを詠もうとした句と推察しますが、問題は「秘密基地なり」と「合宿所」の関係が曖昧なことです。すなわち「合宿所が秘密基地なのか」「吊り蚊帳が秘密基地なのか」が一読して判然としません。作者の意図は後者でしょうから、それが素直に伝わる形にしたいところです。
参考例1 吊り蚊帳は秘密基地なり合宿所
これによって、吊り蚊帳=秘密基地という関係は明確になっています。ただし、このままでは俳句として見た場合、吊り蚊帳は秘密基地である、その場所は合宿所である、という散文的な構成になっています。これを克服するのが次の参考例2です。上句で吊り蚊帳を強調しておいて、中句の「なり」を「めく」に替えて、吊り蚊帳のある合宿所全体に秘密基地の雰囲気を醸し出し、句に拡がりを持たせる表現です。参考例2が私の推しです。
参考例2 吊り蚊帳や秘密基地めく合宿所
原句 草笛をさらって在りし父子づれ
本句の問題点は「在りし」からくる時間軸の曖昧さにあります。「在りし」は文語では「かつてあった」「昔そこにいた」という回想を表す語です。「在りし」では、昔見た父子を思い出しているのか、目の前の父子を見て昔を重ねているのか、その場所にかつて父子がいたことを回想しているのかと、いくつもの読み方ができてしまいます。
この時間軸と内容の曖昧さを解消し、原句に忠実に改訂するとすれば、
参考例1 草笛をさらひし父子ありにけり
のような句となります。
ただし、それだけのことであれば、それがどうしたと読み手は思ってしまいます。俳句としては事実を述べるだけでは不十分で、懐旧の念に添うように詠むなら、
参考例2 遠き日に草笛吹きし父と吾と
のような句となります。
現在形で詠むとしたら、
参考例3 草笛を吹く父と子の土手青し
のような句となります。
繰り返しになりますが、原句は現在と過去が一句の中で交錯しているため、どう読めばよいのかの焦点が定まらないことになっているのです。


