俳句的生活(355)善通寺(15)総本山への道
本稿は、善通寺がどのような状況の下で東寺の末寺から独立し、総本山の地位を得て行ったかを記述しようとしているのですが、そのためには初めに、本寺である東寺の近世の状況を述べておく必要があります。
中世において東寺は全国72か所に広大な荘園を持ち、朝廷や有力貴族・幕府の後ろ盾によってそれを維持してきました。しかしながら南北朝・戦国の不安定な時代においては、後ろ盾の力が弱まり、その荘園は武士に侵食され、更に豊臣政権での太閤検地によって荘園制度そのものが消滅してしまいます。
江戸時代になると、全国すべての寺院は末端の行政組織として幕藩体制に組み込まれ、東寺の収入源は幕府からの朱印地、塔頭寺院・全国の末寺・信者・参詣者からの収入、所有する田畑や山林からの収入によって維持されることになりました。つまり、中世の荘園経済から、近世の寺院経済へと変わっていったのです。
明治維新が起こり、善通寺もそうでしたが、明治4年(1871)の社寺上知令によって、寺社の所有する土地は、境内を除いてほぼすべてが国に没収されることになりました。東寺も例外ではなく、境内だけが残されて、寺院経営の収入源であった朱印地からの年貢はなくなり、田畑や山林は国有地になります。これは東寺にとって極めて深刻でした。
江戸時代まで、東寺には権威とともに経済力があったのですが、明治以後の東寺は、空海ゆかりの根本道場という権威は保持しましたが、経済的には一寺院に近い存在になってしまいます。全国の寺を経済力で統率する力は失われてしまったのです。
明治政府は、寺社を国家中心のイデオロギーに沿うよう統制していくのですが、そうした中で真言宗諸派は合同と分裂を繰り返していきました。その過程で東寺はもはや絶対的リーダーにはなり得ず、善通寺からみても東寺に従属していても、昔ほどの実利はなくなったのです。
明治初年からの大きな流れを整理すると、次のようになります。
| 年代 | 真言宗全体 | 善通寺 |
|---|---|---|
| 明治初年 | 真言宗を政府が統合 | 東寺系寺院 |
| 明治12年(1879) | 真言宗合同 | 東寺を中心とする組織に所属 |
| 明治40年(1907) | 合同宗派が再び分裂し、古義真言宗は八派に分かれる | 小野流寺院は随心院を本山とする「真言宗小野派」となる |
| 昭和6年(1931) | 小野派が組織改正 | 「真言宗善通寺派」と改称、大本山・官長寺となり宗務所を善通寺へ移転 |
| 昭和16年(1941) | 政府により諸派を統合し「大真言宗」成立 | 善通寺は総本山として位置づけられ、大真言宗の一翼となる |
| 戦後 | 各派が再独立 | 善通寺派総本山として再出発 |
ここで注目すべきなのは、昭和6年の改革です。それまでの「真言宗小野派」は、東寺の子院である随心院を本山とする宗派で、かっては善通寺を管理する立場であったのですが、実際には、小野派寺院の中で最も求心力を持っていたのは、弘法大師誕生所であり四国遍路第75番札所でもある善通寺で、この時点で名目ともに善通寺が小野派を代表する寺院となったのです。
すなわち宗派名を「小野派」から「善通寺派」へ改める、宗務の中心を善通寺へ移す、ということになったのです。
私は、この改革には二つの理由があったと考えています。
一つは宗教的権威です。小野派というのは随心院があった山科の小野から付けられた名称ですが、一般信徒には訴求力のない名称です。一方、「善通寺」は弘法大師誕生所として全国的な知名度がありました。宗派の求心力を高めるには、「善通寺」の名を冠した方がはるかに有利だったのです。
もう一つは実際の宗勢です。江戸時代を通じて善通寺は丸亀藩の保護を受けて復興し、四国遍路の隆盛とともに全国から参詣者を集めるようになりました。寺勢・信徒数・社会的影響力の点で、善通寺が小野派を代表する寺院となっていたことが、宗務所移転の背景にあったと考えられます。
中世には東寺との結び付きが善通寺を守る意味を持っていましたが、近世になると善通寺自身が独自の宗教的権威と経済基盤を備え、近代には宗団の中心へと押し上げられていった、と見ることができます。
さらに昭和16年の総本山昇格は、善通寺だけの昇格というよりも、大真言宗への統合という国家の宗教政策の中で、善通寺がその地位を公式に認められた出来事だったのです。
ここまでのことを要約すると、
- 中世:東寺は権威も経済力も持っていた。
- 江戸:東寺の権威は残るが、善通寺も藩の保護で自立性を強める。
- 明治:東寺は経済基盤を失い、善通寺は独自の信仰的求心力で宗団の中心へ成長する。
この流れで見ると、昭和6年の「官長寺・大本山」昇格は決して突然の出来事ではなく、中世から約700年かけて進んだ善通寺の自立の帰結として位置づけられるのです。
善通寺には「いろは会館」という宿坊があります。「いろは」は言わずもがな空海が詠んだ「いろは歌」に拠っています。この宿坊は一泊二食の宿泊代が現在時点で一人当たり1万円という廉価になっています。私個人の感慨ですが、この宿坊を利用して全国から人が善通寺に参詣し、善通寺の名が全国に広まることを願って已みません。

洛外にけむる東寺の驟雨かな 游々子


