俳句的生活(353)善通寺(13)条里制
前稿で紹介した伝導寺、これが廃寺となったことは、710年に白鳳時代が終わり奈良時代となり、平城京だけでなく村落に条里制が敷かれ、寺院も条里制に基づいて再配置されていったことによると考えられています。讃岐では丸亀平野と高松が条里制の対象となっていて、丸亀平野の一部である善通寺の市域には、その条里制の跡が色濃く残っています。

地図上の道路は斜めに描かれていますが、方角は東西南北になっています。白鳳期に佐伯氏の氏寺として造られた伝導寺は、条里制から外れていたこともあって、奈良時代に准官寺として創建された善通寺に徐々に役割がシフトしていき、最終的には廃寺となったのでした。
善通寺伽藍(東院)にある金堂は、何度か焼失していて、元禄期に再興されたものが現在の金堂となっているのですが、基壇は創建時のものがそのまま使われています。基壇の各方向の石組みには、取り立てて大きな石が嵌め込まれています。これは廃寺となった伝導寺の礎石を再利用したものであろうと推測されています。




